ありがたいことに,筑波大学大学院の石井卓巳さんが,自身のブログ(korukoru, id:imukat141)で拙記事に詳しく言及してくれた。

勢いで書き連ねているのがひたすら申し訳なくなる,丁重かつロジカルな感想と考察で,特に1.の「目的に応じた4種類のレイヤーとリソース」は,私の荒っぽい議論を整理してもらった感じ。役に立つ分類だ(これについてはまた機会を改めて話を広げたい)。

今日は,2.についての意見と私なりの取り組み(石井さんへのアンサー記事だということを予めお断りしておく)。

■前提

学生の希望進路にもよるが,私自身は,実は「単純に論文をたくさん読む」ことにあまり期待をしていない。石井さんの言う通り,「『たくさん』は人による上,時間も限られ,研究は卒業研究のみの場合,必要最低限に『たくさん』読む時間やモチベーションを確保することは難しい」からだ。それに,仮に私が「たくさん」押し付け案内したからといって,十分に咀嚼して自分の考察に加えてくれるかどうかは分からない(私の期待に無理に応えようとしてむしろ残念な感じになることも危惧される。こちらの記事「二重に身悶えする」を参照)。

なんでそんな時代になっちゃったの?と思うくらい,今の,そして教員養成系の学生は忙しい。他方で,かつて私たちがそうだったのと同じように,多くのことがモヤモヤしてるのに色々なことが押し迫って来てヌアーッ!な状況に「見通しが得られるような,もっとマシな知識がほしい」という切実な想いも感じる。

だから,追究しているのは,石井さんの言葉を借りれば「最大限効率的に鍛えられる/学部生に応えられる方法」と言ってもいいかもしれない。ただ「研究は卒業研究のみ」とは考えていなくて,ゼミや授業で得たことがそれぞれの進路で活かされる(例えば教員になった後も研究マインドを持って実践の場に臨んでくれる)ことを――検証する度胸もなく段階にもなく今は淡〜く――期待しているから,「効率」のスパンはそれより長い。

■くんずほぐれつ,切磋琢磨のエッサホイサ

前記事で提起した問題に対する私の答え,というかもがきの一つは,石井さんが「突破口の可能性=指導・サポートする側のネットワーク構築?」という節で書いていることと重なる。ネットワーク構築なんてカッコいい言葉が当てはまるかどうか分からないが,ゼミの内外での様々なくんずほぐれつ。

英語科のレベルではまだ卒論・修論の中間・最終発表会程度しかやれていない(ので,研究会や学会をできるだけ案内している)が,ゼミ内部では,空間的・時間的にキツくても3, 4年合同でゼミを開催し,

  • ゼミ通信: 他の人の報告を自分なりに再構成して翌週発行
  • サポーター制度: 報告者以外にも当該論文の「指定討論者」を指名(「[教育][研究] 文献の選び方・辿り方考。」でも触れた)
  • Dropbox共有フォルダ,Facebookグループページの活用

等の取り組みをしている。文献の選び方・辿り方・読み方に対する効果はかなり間接的ではあるが「知識・資料の共有」の工夫のつもりだ。

とはいえ,同じ学部・専攻・ゼミの仲間だとなれ合いになってしまうところもあるので,もっと彼らを揺さぶりたい。そこで,信州大学・酒井先生と北海学園大学・浦野先生の協力を仰ぎ,研究室単位の合同研究会を企画・実施した。卒業研究の中間報告・検討を合同で行うことで,相互にコメントしアドバイスを受け,異なる環境・視点からの刺激をもたらすのがねらい。紀要に報告を書いたのでここではこれ以上詳述しないが,少なくとも亘理ゼミに関して言えば,この取り組みは大成功だった。私がもらうばかりではいけないが,来年度以降も継続したいと考えている。

本当は,中部地区英語教育学会をそういう場にしたいのだが,教採で頭がいっぱいの4年生にとってはヒッジョーに時期が悪い。一方,全国英語教育学会は時期は悪くないのだが,「北海道…徳島…そりゃ行きたいんだけど,でもお高いんでしょう?」となってしまう。大きな期待を寄せているのは,名古屋大学の院生たちが立ち上げたLET中部支部・外国語教育基礎研究部会だが,いずれにしても学生・院生の学会参加費を助成する”study gift”があったら全力で利用したいぐらい,旅費の捻出はプロジェクトXなのだ。

話がだいぶそれた気がするが,その是非はともかく,ゼミは結局,正当的周辺参加よろしく,近いロールモデルや「ゼミの気風・伝統」みたいなものが大きな影響を与えるというのが私の実感である(前任校で初めてゼミを立ち上げた際に,当然ロールモデルはおらず,たとえ年が若いほうでも私はもうそういう存在にはなれないのだということを痛感したのだが,それはまた別の話…)。それで,上記のようにいろいろ仕掛けているというわけ。そういう組織・伝統が既に存在するところには,また別の課題があるだろう(これも別の話)。

■文献解題をくれ,ないなら強めの酒をくれ

玉石混淆問題に対するもう一つの答えは,早めに「地図」(になり得るもの)を渡してしまうことである。さじ加減は難しいが,私は,アリだし必要なことだと思っている。

以前にも書いたりつぶやいたりしてきたのだが,良書・古典の翻訳に加えて,私が外国語教育研究・SLA研究界隈にあるといいなーと思っているものが,大系シリーズや文献解題だ。英語学には,研究社の文献解題シリーズがあり,

  • 唐須教光(編) (2000).『言語学Ⅱ』研究社.
  • 原口庄輔・今西典子(編) (2001).『文法Ⅱ』研究社.
  • 山中桂一・原口庄輔・今西典子(編) (2005).『意味論』研究社.

辺りにはずいぶんお世話になった。一冊一冊が泣いちゃうくらい高いのだが,一冊で100冊に匹敵する価値があると思う(特に後二者)。もちろん読んでも分からない解説もたくさんあるのだが,かなり気合いの入った解説もある。そこに執筆者の視点や当該文献に対する価値判断が込められいる。それがイイ(それがなければ,どれだけ文献を並べ連ねても「電話帳」にしかならない)。

語弊を恐れずに言えば,外国語教育やSLAを研究するからといって,全ての学生・院生がいま Corder や Krashen の原著を読む必要はない(大人の事情で教科書的な人の名前を挙げるにとどめておくが,そういう文献は最近のものでも一杯ある)。しかし,「Krashenのインプット仮説によれば」という,ざっくりなまとめだけで分かった気にはなって欲しくない(ヒドいと誰かのまとめのまとめみたいなのもあるし)。誰か,ちゃんと原著を読んだ人が端的にまとめた解題や書評を(できれば複数)読んでほしい。そうすると,自分の立ち位置が明確になったり,かえって原典に当たりたくなったりする。

その解題を読んでも用語や説明が全く理解できないとすれば,その論文・文献は少なくともその時点では「自分の実力に応じ」ていないということだろうし,理解できれば「自分が選んだ論文を適切に読」む際の座標軸の一つになる。馬力があれば玉石混交をものともせずたくさん読むのも一計だが,解題や書評の存在が「自分の目的,或いは研究課題に適した論文」や文献を選んでいく力をつける上で重要な役割を果たし得ると思うのだが,どうだろうか。

大学英語教育学会――あいにく私は所属していないのだが――のグループからこれまで出された,

には私もお世話になったし,役に立つ文献には違いないのだが,英語学文献解題のレベルには達していない。また,2010-2011年に刊行された英語教育学大系(大修館書店)も,著者やトピックによって適宜参照すべき文献ではあるが,同じ大修館書店から1970〜80年代に刊行された英語学大系ほどのインパクトと大系性があるかと言われれば……ゲフンゲフン(英語学大系がスゴ過ぎるという話だが)。

そこで,Wiley-BlackwellやRoutledgeのHandbookに辿り着くわけだが,そうすると結局,参考文献所蔵問題と翻訳欲しーの問題に戻るのであった(to be continued…)