「CAN-DOリスト」の主語は何かと考えることがある。当然ながら、元のCEFRの”can do” descpritorsの主語はI、つまり一人ひとりの学習者なのだろうが、文科省・自治体教委が各学校に作成を求める場合、その主語は二人称複数のyouではないかと思われる場合も少なくない。YOU-CAN-DOリストは、「許可」の意味ではさすがに無いとしても、多様な生徒の能力がそう簡単に、またその全てにおいて”can do”の形で推測できるわけもない。3年間の指導計画に添って作る際、教科書や試験と噛み合わせて作ろうとするためにどうしても「YOU-HAVE-TO-DOリスト」の色合いを強めてしまう。肝心の生徒が”I must”はおろか”I have to”とも思えていないまま押し付けられれば、「THEY-SAYリスト」となってもはや他人事。各学校も言われてWE-DON’T-WANT-BUT-THEY-SAY-WE-HAVE-TO-DOリストを作ってみるも実用に耐えず、いわゆる「神棚CAN-DO」としてお蔵入りとなった例をいくつも見聞きしてきた。さしずめ「GOD-KNOWSリスト」。主語が神であれば本人は全知全能なのかもしれないが、できもしないことを他人に無理にさせることは神にもできない。

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