日本教育学会第77回大会(宮城教育大学、8月30日〜9月1日)で、8月30日に自由研究発表の司会、9月1日に自身の発表をします。日本教育学会での発表はD1の時以来、なんと14年ぶり。英語教育系学会では選ばないようなテーマで、かつ今のタイミングを逃すと(1年半前の北大での研究会報告をベースとするものの)時宜的にも自分の研究計画的も取り組まないような気がして、以下のタイトルで。

  • 【一般 A- 6】教育方法・教育課程(b): 亘理 陽一「英語教育はパーフェクショニズムを超えられるか: 変容学習論からの目的論再考」

本発表は、現在進められている大学入試制度改革を中心とする英語教育政策に対する批判の性格を持っていますが、その主たる目的は、学校教育の一環としての外国語教育の内、履修させることが原則とされている英語の扱いに議論を限定し、その教育目的について原理的考察を与えることにあります。一応、要旨提出期限は過ぎたので、参考文献の詳細表示を兼ねて公開する次第です(下線は要旨集では傍点)。

1.外国語科教育の目的論: 現状と背景

周知の通り、新学習指導要領の目標・内容は教科横断的に「知識・技能」、「思考力・判断力・表現力」、「学びに向かう力」という「三つの柱」で整理されている。英語を履修させることを原則とする外国語科においてもそれぞれに対応する目標が掲げられ、「そこに至る段階を示すものとして」CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)を参考にした技能5領域の目標が設定されている(文科省, 2017)が、その根底に(a)学習者中心の言語学習観および複言語主義という(元のCEFRの)理念の不在、(b)コミュニケーション中心を標榜する個体能力主義という矛盾、(c)他律的パーフェクショニズム(卓越主義)という問題があることを指摘する。これは、指導法やカリキュラムのあり方を巡る従来の英語教育の議論では解消し得ず、教科目的論の全体的再考を促すものである。

CEFRは、国レベルの教育課程やテストに影響を及ぼしている実態が諸外国にもある(Byram & Parmenter (Eds), 2012)とは言え、元々、「異なる言語話者同士が互いを理解し、ともに生活していく」(山川, 2010, p. 54)ために、当該言語を用いた社会生活上のさまざまな課題の達成状況を通じて、言語使用者が自らの現下の運用能力を把握するためのものという性格を有しており、教授者が利用する際の眼目も本来、学習者のニーズのきめ細かい把握やそれを満たすために必要な教育課程・教材の開発にある。その一部に準ずる枠組みが、本来の理念抜きに教科の目標管理に利用される遠因としては、現在の日本において、外国語としての英語の運用能力に対する希求が、ジョブ型社会とメンバーシップ型社会のどちらにも属さない鵺的な「フィクション」として成立していることが指摘できよう(濱口, 2014; 寺沢, 2015; 中村, 2018)。

外国語科は異なる学校種を貫いて「コミュニケーションを図る資質・能力」の育成を目指している。ハーバーマスのコミュニケーション的行為論においては、「相互行為を離れて個人の内在的性質、例えば『コミュニケーション能力』などの性質は構成されないため、個体の能力の水準(②)を相互行為(①)とは独立に措定することはできない」(山口, 2014, p. 56)し、実際、面接者の巧拙により会話能力テストの結果が影響を被ることを指摘した研究もある(例えばKasper, 2013)にもかかわらず、英語教育は大勢として、活動の媒介性・知識の文脈性・意味の交渉性を教科の目標・内容のレベルで十分に検討することなく、全てを個体に帰属させる能力観を肯定し続けてきた(石黒, 1998)。

上記の状況における英語教育の論理はパーフェクショニズムに向かわざるを得ない。中村(2018)は〈能力不安〉から生じる「新しい能力」への強迫観念的渇望の例として「英語四技能(なかでもスピーキング)」の推進を挙げているが、英語に関わる「能力」論の場合、「反省的に問い直され、批判される」ことを阻み、パーフェクショニズムを固定化・絶対化する特殊な要因があるように思われる。それは英語教育関係者が歴史的に、「厳密には測定することができない」はずの能力評価を外部試験や権威的存在の判定に委ね、受け容れてきたということである。現在、大学入試への英語外部試験導入について、(1)公平性(受験料負担の問題、各地域で受験可能な試験の偏り)、(2)実行可能性(大学入試試験利用者数に対する試験会場・監督・採点等の体制の問題)、(3)信頼性(性格の異なる複数の試験間の比較可能性・基準設定の問題)、(4)妥当性(学習指導要領との整合性等)の観点から問題点や懸念が多く指摘されている(南風原(編), 2018)。それぞれが尤もな批判である一方で、推薦入試や留学、教員自身の英語運用能力の証明としてそれを利用してきた過去に鑑みれば、「何を今更」という誹りは免れない面もある。

2.変容学習論から見た英語教育の公教育における位置

上述の(a)〜(c)を超えたところに、公教育の必修科目として外国語(英語)を置くことは正当化され得るだろうか。つまり、寺沢(2014, p. 255)が提案するように「(i)外国語科の持つイメージのコアである『基礎技能の育成』を便宜的にまず設定し、次に、(ii)そうした目的論の恩恵からこぼれ落ちる学習者にも適用可能な『普遍性』の高い目的論を考案する」際に、(a)と(b)を考慮した(i)を構想し、かつ他者に下駄を預けたパーフェクショニズムに陥らずに(ii)を共有することが可能かどうかという問題である。

参照すべき先行の目的論として、日教組教研集会外国語教育分科会の「四目的」(1962, 2001)と日本学術会議言語・文学委員会による提言「ことばに対する能動的態度を育てる取り組み」(2016、以下「取り組み」)がある。「四目的」(2001)は、「外国語を使う能力の基礎を養う」前提として、「1 外国語の学習を通して(中略)世界の人びととの理解、交流、連帯を進める」こと、「2 労働と生活を基礎として、外国語の学習で養うことができる思考や感性を育てる」こと、「3外国語と日本語とを比較して、日本語への認識を深める」ことを掲げており、「取り組み」は(1)非母語としての英語という視点の共有、(2)英語でおこなうことを基本としない英語教育への変更、(3)文字の活用、書きことばの活用を提言として示している(江利川, 2014)。

本発表では、変容学習論(Mezirow, 1975; Cranton, 2016)を手がかりに上記目的論を再検討し、その意味する所と、現状の学校教育の一環の教科として持ち得る普遍性について論じる。Kegan (2009)は、学習し成長するにつれて、認知的・対人的・個人内的諸側面が、意識的に制御できないsubjectsから制御可能なobjectsへと変容していく過程として5段階を区分している。この理論に基づくと、(他者との交流を求める「衝動」はあるかもしれないが)英語使用を必須とする社会状況にない以上、全員に共通するニーズや関心がsubjectにあることを想定できず、それ故、上記のようなより高次の側面を普遍の目的として掲げざるを得ないが、低次の諸側面がobjectsとして領有されない限り人はそれに「わがこと」として関われない、という外国語科目的論の根本的課題が浮かび上がる。だからこそ、社会の中での英語(使用者)のあり様について批判的に関わり続けるべく、言語と言語使用に関する「過去の学習の妥当性を省察的な討議を通じて確認し、そこから生ずる洞察に基づいて行動する能力を次第に高めていく」ものとして構想し得るならば、外国語科は公教育において重要な位置を占めると考える(メジロー、 2012, p. 8)。

3.参考文献
  • Byram, M., & Parmenter, L. (Eds.), (2012). The common European framework of reference: The globalization of language education policy. Bristol: Multilingual Matters.
  • Cranton, P. (2016). Understanding and promoting transformative learning: A guide to theory and practice (3rd ed.). Sterling, VA: Stylus Pub Llc.
  • 江利川 春雄 (2014).「学校の外国語教育は何を目指すべきなのか」江利川 春雄・斎藤 兆史・鳥飼 玖美子・大津 由紀雄(編)『学校英語教育は何のため?』(pp. 1–40)東京: ひつじ書房.
  • 南風原 朝和(編) (2018).『検証 迷走する英語入試: スピーキング導入と民間委託』東京: 岩波書店.
  • 濱口 桂一郎 (2014).「第1報告・労働市場の変容と教育システム」広田照幸・宮寺晃夫(編)『教育システムと社会: その理論的検討』(pp. 19–31)東京: 世織書房.
  • 石黒 広昭 (1998).「心理学を実践から遠ざけるもの: 個体能力主義の興隆と破綻」佐伯 胖・佐藤 学・宮崎 清孝・石黒 広昭 (編)『心理学と教育実践の間で』(pp. 103–156)東京: 東京大学出版会.
  • Kasper, G. (2013). Managing task uptake in oral proficiency interviews. In S. Ross & G. Kasper (Eds.), Assessing second language pragmatics (pp. 258–287). London, UK: Palgrave Macmillan.
  • Kegan, R. (2009). What “form” transforms?: A constructive-developmental approach to transformative learning. K. Illeris (Ed.), Contemporary theories of learning: Learning theorists … in their own words (pp. 35–52). New York, NY: Routledge.
  • Mezirow, J. (1975). Education for perspective transformation: Women’s reentry programs in community colleges. New York, NY: Center for Adult Education, Teachers College, Columbia University.
  • ジャック・メジロー (金澤 睦・三輪 建二(監訳)) (2012).『おとなの学びと変容: 変容的学習とは何か』東京: 鳳書房.
  • 文部科学省 (2017).『中学校学習指導要領(平成29年度告示)解説: 外国語編』Retrieved from http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/05/07/1387018_10_1.pdf
  • 中村 高康 (2018).『暴走する能力主義』東京: 筑摩書房.
  • 日本学術会議言語・文学委員会文化の邂逅と言語分科会 (2016).「ことばに対する能動的態度を育てる取り組み: 初等中等教育における英語教育の発展のために」Retrieved from http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t236.pdf
  • 寺沢 拓敬 (2014).『「なんで英語やるの?」の戦後史: 《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程』東京: 研究社.
  • 寺沢 拓敬 (2015).『「日本人と英語」の社会学: なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』東京: 研究社.
  • 山口 毅 (2014).「第3報告・教育に期待してはいけない」広田照幸・宮寺晃夫(編)『教育システムと社会: その理論的検討』(pp. 46–60)東京: 世織書房.
  • 山川 智子 (2010).「『ヨーロッパ教育』における『複言語主義』および『複文化主義』の役割」細川英雄・西山教行(編)『複言語・複文化主義とは何か: ヨーロッパの理念・状況から日本における受容・文脈化へ』(pp. 50–64)東京: くろしお出版.