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先日飛行機に乗ったときの話。

近くの席に若いカップルが座っていた。カレシは黒夢の清春にマヨネーズを多めに盛ったような、真ん中の席に座ったソバから「ごむぇ、ちょ、うぉれ、といっ」とラップを刻んでトイレに行くような「好青年」で、カノジョはいかにもそのカレシの言動の支配下にありますというような黒髪のおとなしい感じのコ。普段の私がそのような自由と平和を謳歌するカップルに遭遇した場合、超ひも理論のことを考えたり「オレたちだって好きで定置網にかかってるんじゃない!」と憤るエチゲンクラゲの集会のことを考えたりしてやり過ごすのだが、この日はそうもいかなかった。

最近では当然のようになってきた、「行って帰ってまた飛んでで機材繰り全く余裕ありませんから!それで利益出そうとしてますから!」のあおりを受け、搭乗開始から少しずつ予定が遅れていたのだが、滑走路の順番待ちも重なって、搭乗してからも離陸までしばらく待たされた。そのため電子機器が使えない時間が長く、このカップルの会話がどうしても耳に入ってきてしまう。会話と言っても、カレシが一方的にカノジョに向かって語ってるだけのようなのだが。

しかしながら、よくよく耳を傾けてみると、どうやらカレシは飛行機が安全だということをどうにかしてカノジョに伝えようとしているらしい。「インドネシア?マレーシア?のほうで?なんか?あったじゃん?あれってさ、結局さ、なんつーかさ、よくわかんないじゃん?」本当にカノジョが怖がっていたのか、本当に怖かったのはカレシの方なのか、それは分からない。だが、聞いている(というよりも聞こえてくる)内に、このカレシがなんとなく愛すべきやつに思えてきた。話は全然前に進まないし、一向に具体性を帯びないのだが、私の持てる言語能力をフル稼働させて繋ぎ合わせると、どうやら自動車事故などの確率を持ち出して「飛行機が墜落する確率は思っているよりも低い」ということが言いたいらしい。「ほら、車?で事故ったり?よくすんじゃん?で、0か1かで言うと飛行機って0っつーか?運悪いだけっつーか?」

このモノローグを聞かされている、私より近くに座っている人たちの健康状態が心配になりもしたが、なんだか私は、このカレシの必死さに愛を感じてしまった(印象的な部分だけ取り出しているが、説明はもっとダラダラ続いていた)。なんら正確な事実を述べず論理もムチャクチャで、「要領を得ない」とはこのことか!という有り様だが、とにかくカノジョの不安を取り除こうと——単に自分の不安をごまかしているだけという説も捨て切れないが——一生懸命に語るカレシ。これこそ愛だな!愛なんだな!(そう思わないとこの時間に耐え切れない!)

飛行機はほどなくして離陸した。声が止んだなと振り返ってみたら、離陸してすぐに2人は寝オチしたらしい。これもまた微笑ましい。愛だね!愛なんだね!と、シートベルト着用サインが消え昼食を食べようとする私の目に入ったのは、目を覚ますや否や、会話もなくそれぞれスマホにイヤホンをつなぎ別々の時間を過ごす2人の姿だった。自由と平和を謳歌するカップルのことはやはり分からない。

心のシャッターを降ろした私も、イヤホンを装着し、ダイオウイカの触手でビンタしたらどれくらいの威力があるのかの思考実験に耽った。

Different strokes for different folks.