Pocket

「教職員の増員を求める文科省に対し、削減を求める財務省」といった構図。特に予算編成の時期になると、毎年のように話題にのぼる。今年も、

といった報道があった。この時の(私が見かけた)教育関係者の反応は「実態をわかってない!」、「教育にお金をかけないでどうする」、「これがヤツらのやり口さ」、「うむ」、「(‘A`)ヴァー」といったもの。毎年繰り返される反応だ。そしてこういう時だけ、文科省はわりと正義のミカタ側扱いされる(普段は「有識者」会議等々についてボロクソに言われるのに)。

果たしてそれでいいのか。がんばって*1財務省提出の資料を見てみる。

上記の報道のもととなった資料は、財務省のWebページで公開されている。

平成27年度一般会計概算要求・要望額として文科省は、前年度から5,404億円増の59,031(概算要求50,585+要望額8,446)億円を要求している。

リンクの資料は「義務教育予算について」、「国立大学改革について」、「科学技術関係予算について」、「スポーツ関係予算について」から成るが、教職員の定数に関係するのは最初の「義務教育予算について」だ。

資料を見ての結論を言えば、「財務省の説明には論理の飛躍と恣意的なデータ解釈があるが、その反論のもととなっている文科省の立論の根拠(あるいは説得)もそもそも弱い」ということになる。仮に財務省のお仕事が、ただただ冷徹に各府省の予算を必要最低限に合理化することだとすれば、ぐうの音も出させないくらいの根拠を提出して予算を認めさせるのは文科省の仕事であって、関係者がまず応援したり批判したりすべきもそちらではないのか。

例えば、資料中で引き合いに出される全国学力・学習状況調査。実施している側の思惑も、実態として各県・市町村レベルで果たしている役割も様々あろうが、現実に瑣末な「順位」で一喜一憂する者が少なくなく「テストのためのテスト対策」で各学校・各教員を疲弊させているのは周知の通りで、50数億円をかけてこの程度のグダグダなエビデンスにしかできていないことをなぜみんな怒らないのだろうか(ただし、こちらも十把一絡げに批判しても不毛で、誤答分析等、授業改善のための資料としては年々改善されている部分もあると思うが、今は措く)。

具体的に資料を見てみよう。まず「義務教育予算の現状①小中学校向け公財政支出の国際比較」。全体を通じてなぜ、概して必ずしも教育がうまくいっているとは言えない「G5諸国」と比較しようとするのか分からないが、じゃあOECD平均やなんやで議論するのはどうなんだと言われたら面倒臭いので、まあそれは気にしないことにする。このページで一番引っかかるのは、「日本の国民負担率が国際的にみて低水準であることをふまえれば、日本の小中学校には十分に手厚い予算措置が行われているといえる」という主張だ。「国民負担率」とは、われわれの所得に対する税金負担と社会保障負担の合計額の比率を言うらしい。ざっくり言うと、「他の国と比べてもそこそこ教育に予算を出していて、税金をそんなに取っているわけじゃないんだから、十分でしょ」という論理だ。

よく分からないのだが、GDP比2.0%というのはどう計算しても11兆円ぐらいになるので、そもそもここで議論している義務教育費国庫負担分だけの話ではない*2(GDPはIMF, 2013によれば4,901.53億USドル、この記事の投稿日時点のレートが1ドル114.6円。投稿日のレートで計算するのはアレだが、ともあれ。学校教育費全体については文科省のこちらのまとめを参照)。それを小中学校の在学者総数(平成23、24年で約1031万8000人。出所はこちらの22-2)で割ると、109万円ぐらいになるので、1人あたりのGDP(IMF, 2013によれば38,491USドル。約441万円)の内24%強になるでしょ、というわけだ。次のページにある通り、その中で国庫負担は1.7兆円(約15%)に過ぎない*3=大半は都道府県・市町村が負担しているのに、なぜそれをここでの議論の資料に持ち出せるのか(「公」財政支出の話だからいいのかもしれないが、中央と地方のカンケイも含めて)私にはよく分からない。仮に財務省の主張の通り国庫負担を減らしても、現状をある程度維持しようとして地方の支出が増える→他にしわ寄せがいくだけではないのか。

それ以上に問題だと思うのは、ここには「実際に教育全体にどれくらいお金がかかるか」という観点が抜けていることだ。つまり各家庭で、税金や社会保障負担以外にどのくらい教育にお金がかかっている and/or お金をかけているかということのデータがなければ、「十分に手厚い予算措置が行われている」かどうかは分からない。例えば第一次安倍内閣のときの「教育再生会議」(第8回学校再生分科会、平成19年)にこんな資料が提出されていて、教育支出の公私負担割合(2003年)が、初等中等教育については91.3: 8.7だというデータが持ち出されていたようだ。しかし、ここでの「私費負担」というのにも穴があって、学校外の習いごとや塾に対する支出は含まれない(『平成21年度文部科学白書』の特集1で文科省もこの点に言及している)。塾に通ったり通信学習教材を利用したりしている児童・生徒は、全国学力・学習状況調査の平均正答率をあげることにかなり貢献しているであろうから、そういう児童・生徒を除いてみて、つまり家計にほとんど頼らずとも同じ結果がもたらされるかどうかを見てから「十分に手厚い」などという言葉が使えるかどうか判断してほしい。

要するに人件費の云々については前提からピントがずれているということなのだが、次ページの「特に日本の小中学校予算は教員給与に 配分が偏っている。在学者一人当たり教員給与支出は国際的にも高い水準になってしまっている」というのもワケがわからない。国によって事情は異なるのだから(例えば教科書検定制度)支出項目の構成がどうなっていれば良いというのがあるわけではないし、前ページで「諸外国に比べて子供の数が少ない」ことを「十分に手厚」くなっていることの「根拠」としたのだから、教員給与支出についても「在学者一人当たり」の額が相対的に高くなるのは当然ではないか(そして当然なことに子どもの数が減って教員の給与が高くなったわけではない)。消費的支出に占める人件費の割合が高いと何が問題なのかを示した上で、予算枠はそのままで他への支出割合を増やしてみたら…という提案なら何歩か譲って分からなくもないが(「外部の力の活用」云々の議論はその種の提案ととれなくもないが)、結局は「子どもの数が減ったんだし、人件費も減らしていいじゃん」ということが言いたいだけなんだろう。

1、2ページにつっこみを入れるだけでこんな調子では、最後までやったら肉体も精神も壊れてしまう。「教職員定数の合理化」の根拠に絞って、かいつまんでいこう。ここで言及されているのが、「少人数学級推進」と「小一35人学級」の効果である。

財務省資料で引き合いに出されているのは、文科省が出した

だが、そもそもこの資料が(少なくともここに提示されている情報だけ見れば)よくない。

「平均正答率」「無回答数」とはあるものの、ここにある数値が何を意味しているか不明である。文科省の資料のほうには「数値は過去との比較ができるように平均を0とする得点に換算。平均からどれだけ離れているかを相対的に示したもの」と説明があるが、全体平均からの距離だと解釈しても、計算方法も示されておらず、その数値が示す実質的な差の大きさがわからない(無回答数の数値もそのものズバリを示しているとは考えにくいが、「前年度から少人数学級に在籍した児童は、そうでない児童に比べて国語A18問中の無回答数が0.076少ない」という結果で、「うわー、効果あったなー」と思う人がどれくらいいるだろうか)。この表の数値だけで見る限り財務省のツッコミは尤もだが、そもそも-0.070という数値が(逆に0.026という「向上」を示す数値も)どの程度のインパクトを持つのかわからなければ「悪化した」と判断することもできない。

さらに平均正答率や無回答数の平均だけでその効果を論じるのも問題だ。仮に平均正答率の著しい向上が見られなくても、学級・学校での集団のばらつきが縮まっているのであれば、少人数学級やティーム・ティーチングに効果があったと言えるだろう。逆も同様である。仮に平均正答率の向上が見られたとしても、上位層が伸びただけでばらつきが拡大していたとすれば手放しに「効果があった」とは言えないはずだ(三浦朱門的思想の人たちにとって望むところかもしれないけど)。そもそも全国学力・学習状況調査の問題は、両年度の比較に耐えるような設計になっているのか、等化を行った上で比較しているのか(していて、ロジスティック回帰か何かでオッズ比で示しているならそう書いてくれ)、モヤモヤはつきない。文科省側も「教育政策」の効果を示す資料としてもうちょっとマシなものをマシな形で出せなかったのだろうか(それこそ「有識者」を呼ばなかったのか)。

もう一つ「『小一35人学級』に政策効果はみられない」の根拠として、財務省は「いじめ認知件数」を引き合いに出して、「小学校における問題発生件数に占める小学1年生の割合は、ほとんど変わっておらず、むしろ、いじめや暴力行為は少し増加している」としているが、これは全くナンセンスである。こちら

で、名古屋大学の内田先生が論じているように、「いじめ認知件数」が増えたのは、教職員が積極的に「いじめ」発見に動いて報告した結果であって、いじめそのものが増えたこととは別である(それ以上に都道府県によってその認知件数に差があることや、これまでも認知されていない多くの「いじめ」があったし、今もあるということが問題)。教員になった卒業生や小規模校の先生と話していても感じることだが、むしろ少人数であることで、一人ひとりの児童・生徒に以前より目を配ることができるようになって「いじめ」・「暴力行為」の発見・食い止めにつながったと推察することもでき、35人学級には効果があったという逆の結論を引き出すことさえ可能だろう。と思ったら、同じ内田先生が記事を書いてらしたので、この点についてはこちらの記事を参照されたい。

ということで、財務省の説明は穴だらけといえば穴だらけだが*4、他方で、彼らを突き崩すだけの説得材料を文科省も提示できているとは思えない。しっかりしてくれよ!と叫びたいし、財務省に文句を言うだけの教育関係者の居酒屋談義もやめにしてほしい。

なんなら来年の全国学力・学習状況調査の数学Bで、財務省の資料を問題として出して中学生に批判的検討をしてもらってはどうか。

 

*1 KeynoteをはじめとするMacソフトウェアの見やすく、わかりやすいプレゼンに慣れてしまった僕らは、一枚のスライドに情報を詰め込みすぎたお役所的配布資料には耐えられないカラダになりつつある。

*2 「義務教育費国庫負担制度について」参照。

*3 ここでは「資本支出等を含まない」とあるが、資本支出は教育費総額の12%弱で、8割以上は消費的支出が占める(例えば平成24年会計の地方教育費調査はこちらで検索をすれば参照できる)。

*4 (20141117追記)元々書こうと思っていたのに、怒りと疲れで失念したことを思い出した。財務省資料で唯一光るのは、そして関係各位にも反省して欲しいのは、「日本の教員は授業以外の事務作業等で忙しい」という部分。

「OECD国際教員指導環境調査(TALIS)について」のページは結果として何が言いたいのかよく分からない資料になってしまっているが(各種調査結果をそのまま鵜呑みにせず慎重に検討すべきという指摘はその通りだが)、次のページでは、年間勤務時間が比較的長い割に年間授業時間が短いこと、つまり授業外の業務に時間を取られていることを指摘している。そして「日本では授業以外の事務作業等(授業準備、職員会議、一般事務作業等)に多くの時間が充てられているという 問題がある。(中略) 教員の負担感を軽減し、より児童生徒に向き合う時間を確保するためにも、事務作業等の時間を短縮するための 取組み(業務の合理化・外部化、外部専門人材の活用、教職員一人一人の能力向上等)が必要」という指摘。授業準備を「事務作業」とみなし、それを問題だとする考え方は全くもって浅はかで論外(むしろ授業準備に余裕を持って取り組めるようにすることこそ必要)だが、それを除けば言っていることは尤もだ。

何でもかんでも教員に求められる状況が変わらず、一人ひとりの先生が自律した専門職集団として機能できないのであれば、教員の人数が増えようが減ろうが本質的なところでは変わらないだろう。そのことをよく考えるべきだということを文科省と財務省の資料は教えてくれる。