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原点回帰というか、ここ最近モヤモヤしていたこと、最近忘れかけているんじゃないかと気になっていたことを思い出させてくれた一冊。

英語を教えることに携わっている人は必読だし、英語に限らず外国語を教えている人、外国語に限らず言葉を使って何かを教えている人も読んで損はしない。もっと言えば、学校教育の一環として、外国語としての英語を教えていて、この本を読んで何も感じないのだとしたら、余程おめでたい人か相当罪深い人なんだろう。

確かに全力でみちこさんのような学習者は多数派ではない。しかし多数派ではないからといって無視してよいということには勿論ならない。自分が接する学習者の問題(もしくは自分と出会うまでに彼らがしてきた学習の歩み)として、みちこさんの言葉に耳を傾ける価値がある(例えばpp. 20-21, 42-43)。あるいはせめて自分が切り捨てているもの、切り捨ててきたかもしれないものに自覚的であるべきだ。対象とする学習者としてみちこさんを切り捨てるのも自由だが、少なくともそういう人には「苦手な生徒・学生に寄り添う」とか「個人差に合わせて」とかいったことは口にして欲しくない。

さらに踏み込んで言えば、程度の差はあれ、すべての学習者の中にみちこさんがいると私は思っている。みちこさん的なこだわりと立ち止まり(腑に落ちたさ)。中学校1年の英語の授業で、アパートの名前や人名まで日本語に訳して怒られからかわれた当時の私は、正にみちこさんそのものであった。自分がそういう原体験を持っているからといってそれを一般化したいわけではない。ただ、教室に「本当はみちこさん的な疑問が芽生えたのに、黙って先生につき合ってあげている学習者」が少なからずいる。その可能性について一度思いを巡らせてみてはどうか。それは毎時のレベルでもそうだし、単元や学期、その学習者と一緒に過ごす全期間についても言えることだ。当然私自身にもブーメランとして飛んでくる。

断っておきたいのは、本書で家庭教師の先生がしている説明や教え方を必ずしも賞賛しているわけではないということだ。彼がする分析的な説明を万人が好み受け容れるわけではないし、固有名詞と一般名詞に対する冠詞の説明やitの扱いなど、専門的に見れば適切とは言えないところもある。Copula BEを「イコールで結べる」と説明してしまうのも問題で、ちょっと先に進めばすぐにみちこさんは「あれ?」と思うだろう。そういう個別の内容以上に重要なのは、授業が進むにつれての家庭教師の彼の認識の変化である。みち子さんのような学習者に「勉強ができる人って、小さいことには立ち止まらないんですね、きっと」(p. 173)と言われた時に、英語を教えることに携わっている人は、(本心から)彼のような返答ができるのか、あるいは別の返答するのか、ぜひ問いたい。

そういう意味で、本書はマンガの体裁を取ってはいるが、言葉を教えるということについての対話篇である。マンガに対して固定的なイメージしか持たない人はマンガと思って読まないほうがいい(『深夜食堂』や業田良家作品に馴染んでいる人は大丈夫)。英語(の教え方)そのものについて参考になるというよりは、帯にある通り「英語入門の前に読む入門書」であり、かつて『探検!ことばの世界』や『ことばのからくり』などで大津先生が意図した「言語教育」の同一線上にある一冊だと思う。

Let there be light reading.