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昨日の英語科追いコンでこんなことを話しました、という話(多少の補足アリ)。

幹事のみなさん、アレンジお疲れ様。4年生のみなさん、卒業できるといいですね。(中略)卒業式までひと月以上ありますし、みなさんが卒業するという実感はまだ私にはありません。ここ最近の話題で言えば、なんと言っても卒論・修論です。大変でしたね。がんばりましたね。

こうしてみなさんが学生生活を謳歌できる、昔ほどではないにしても大学がそういう場所であれていることは素晴らしいことだと思いますが、これからみなさんはずいぶん厳しい世界に飛び込んでいくことになります。特に専門職としての教師にはますます多くの、高いものが求められるようになっています。そういう視点でこれまで、査読でも発表会でも私は相当厳しめにコメントをしてきました。重かったでしょう。キツかったでしょう。ただそれは、みなさんの卒論・修論のあら探しをして、ダメだったとかヒドかったとか、そういうことを言おうとしてしたのではありません。

物事に対してよく「後悔しないように」と言いますよね。「後悔だけは絶対したくない」、「後で後悔することのないようにしよう」。僕はこれはちょっと違うんじゃないかと思っています。後悔しないことなんてあり得ません。何かがうまくいってもいかなくても後悔はするんですよ。人間だもの(みつを)。こうすればよかったかな、あっちを選んでいたらどうなっていたかなと事後に考えるのは人の常で、後悔すること自体は悪いことでも何でもないと思います。大事なのは後悔した後です。後悔したことを明日に生かせるか、後悔を後悔のままで終わらせるのか、そうじゃないのか。本当に良くないのは、同じ後悔を何度も繰り返すことでしょう。

みなさんも卒論・修論についてきっと、完成直前になって、あるいは完成してから、「もっとこういうことをやりたかった」、「もっと早くにあれをやっておけばよかった」と思ったでしょう。ねえ。同じように、私も他の教員も、「あの時こう言えばよかったかな」とか「もっと的確なアドバイスをしたかった」とか、いろいろ思っているわけです。だから、今まさに問われているのは、卒論・修論についてのその後悔をどうするかです。その意味で卒論・修論は終わっていません。どうか「発表会も終わったし、先生も通してくれるだろうし、これでもう全部終わりだ、へっへっへー(笑)」などとは思わないでほしい。

これはいつも言うことですけども、卒業後しばらくしてから、例えば半年ぐらい経った頃にぜひ卒論・修論をパラパラとめくって見てください。ファイルを開いて眺めてみてください。文章や構成の拙さが見えて逆に恥ずかしくなったりする部分もあるかもしれませんが、苦しみながらも自分がこれだけ書いたこと、懸命に向き合って考えたことにけっこう勇気づけられると思います。その時、いま卒論・修論について感じていることを思い出してみてください。

ということで、いま感じている「後悔」は決して悪いことではありません。何かをやれば後悔もする。そういうものです。問われているのは、「そういう後悔をした自分は次に何をするのか」ということだと思います。卒論・修論に対する指導やコメントもそういう、今後のためのものとして捉えてもらえれば幸いです。

とはいえ、今日は先輩・後輩とたっぷり話せるめったにない機会ですから、ぜひ後悔のないようにしてくださいね。以上です。