[雑感029] It’s within your arm’s reach.

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先週、和歌山で登板した際に「ふれなかったこと」として(結局ちょっとだけ)触れたのが、「教員の世代構造の変化、とその影響」という話。

報告の趣旨とはややずれるのだが、世代が違えば、生徒として、そして教師として経験した学習指導要領・指導要録は違ってくる*1。こちらの記事で紹介した『教師の学びを科学する』でも、小学校教員について神奈川・東京・大阪と秋田・福井の対比が示されているが、現状として、県ごとにその世代構成は大きく異なっている。英語教員だけの数字を探す余裕はなかったのだが、さしあたり近いところで中高の県別の対比だけでも示しておきたいと考えた。

最初に提示したのが、「平成25年度学校教員統計調査」に基づく公立高校教員のデータ。やや見難いが、横軸は22歳から66歳以上までの年齢。県ごとの教員数がそもそも大きく異なるので、縦軸は各県に占める割合で揃えている。山のピークが右側のほうにある=高齢化が進んでいるというのは全体の傾向だが、大都市の大阪は明らかに他と形が違う。30代後半から40代半ばが薄く、5、60代が2時間サスペンスドラマの解決に使われそうな絶壁を形成している。(和歌山県で開催された学会なので気を遣って置いた)和歌山県にもリアス式海岸的な雰囲気が漂う。

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大阪のことを山村美沙サスペンス扱いして笑っている場合ではない。採用のあり方が大きく変わらずこのままの規模を維持しようとすれば、今後10数年で他県にも同じ問題は訪れる。既に中学校では、大阪はもちろん、静岡や和歌山もフタコブの様相(というにはいびつだが)を呈している。それが下の図。フタコブの後には、大量退職に伴って山のピークが左側に来る時代…となるのか。

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ここで示しているのはあくまで年齢であって教職歴とイコールではないし、個々に見れば、若くてもあらゆる面で力のある先生、年配でも若い先生に距離を感じさせないような心と体の若さを保った先生もいる。しかし、15〜20年程度の(仮に全て持ち上がりなら3年×5〜6集団くらいを教え送り出した)経験を持ち、気力・体力的にもまだまだ充実している世代が少ない(学校にいない)というのは、というよりいずれかの世代が多過ぎたり少な過ぎたりして世代間継承を難しくするようないびつな構成になっていることは、決して望ましいこととは言えないだろう。

10年ごとの世代で表でまとめなおすと以下の通り。上が高校で、下が中学校。

20代30代40代50代60代以上
大阪13.86%18.83%15.39%46.97%4.94%
福井7.89%20.03%35.89%33.92%2.27%
静岡7.10%20.00%31.08%38.67%3.15%
和歌山11.74%22.53%23.86%38.74%3.13%
20代30代40代50代60代以上
大阪22.43%25.49%13.48%35.36%3.24%
福井13.18%26.07%31.92%28.19%0.63%
静岡15.35%18.84%26.04%38.12%1.65%
和歌山14.52%18.12%21.12%44.36%1.87%

実際には教科ごとの分布にもばらつきがあるだろうが、仮に英語教員が全体と同じような分布だとして、例えば2人でまわしている大阪の中学校に40代が配置される可能性は低いということがわかる。20代と50代の教員のペアだとして、「同僚性」はちゃんと築けているのか、いやその前に会話がちゃんと成り立っているのか、50代二人で反目し合うより親子的な感じでかえってうまくいくのか。30代、40代がいたから解決するという問題ではないが、少なくとも様々な面において、今のところ教員の世代構成が頑健な感じがする(逆に言えば新人が容易には参入できない)福井や秋田と、他の県を同列に論じることはできない。

興味深かったのは、出典を示しているにもかかわらず、終了後に複数の人から「あれ、すごいですね。データどうやって集めたんですか」と訊かれたことだ。こういうのは舞田敏彦先生が「データえっせい」でよく示してくれているが(こちらも参照するとよい)、舞田先生がいつも示しているように、元のデータには誰でもアクセスできる。冒頭で断った通り私が作成した図は「平成25年度学校教員統計調査」に基づいたもので、文科省のWebページで結果は公表されている。リンクの「e-Stat 政府統計の総合窓口」から「学校調査」と進めば、「都道府県別 年齢別 本務教員数」のExcelファイルをダウンロードできる。それを使っただけなのだ。便利なまとめばかりに頼らず、「元データに当たって自分で確かめ、自分で考える」という当たり前の習慣を堅持していただきたい(こちらを参照。特に48、49枚目)。

報告本体で、誰でもアクセスできる「平成26年度英語教育改善のための英語力調査事業報告」や「教育課程実施状況調査」の結果やまとめを引いて言おうとしたことも基本的には同じだ。「学習指導要領を改訂する際にデータがなくて困る。とにかくデータがない」というようなことを言っている人がいたが、いやいやいやいや、「データがないのではなくて、あるのは自分に都合のいいものしか『データ』とみなさない人と、そのデータすら正しく解釈できない人でしょう」と。

蛇足だが、「愛知県はどうなんだろう」という質問があったので、以下に示しておく。公立高校は大阪と似たような状況だが、中学校は若返りが既にだいぶ進んでいるようだ。

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ここで示した図は全てExcelでちゃちゃっと作ったものだが、これをRでまとめてきれいに仕上げられるようになるのは夏休みの課題にしておこう。誰か教えてください。

 

*1 例えば現在30歳以下の人たち、つまり20代の教員はみな、小学校1年生から関心・意欲・態度を評価されてきた。教育学の授業をしていた時から感じていたのは、それを当然視している者が多いということだ(経緯を説明し揺さぶると「そう言えば」となる者も少なくないので、疑問を持てないというわけでは勿論ない)。私だって、中学校の途中で「新学力観」に基づく評価に変わっ(て色々納得のいかない思いをし)たという経験がなければ、大学でそのことを学んだ時に「あっー!」とはならなかったかもしれない。とはいえ、Age 35周辺の人たちはそういう転換を少なからず経験している。それに対し、40代より上の教員は自分自身はそういう評価をされたことはないにもかかわらず(「関心・態度」という指導要録上の観点は1980年からあったようだが)、児童・生徒の関心・意欲・態度を評価しているわけだ。大なり小なりこういうことが其処此処にあるので、同じ「学習指導要領」・「指導要録」という言葉を使っていても、世代が違えばそのイメージするところは異なっているかもしれない。

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