[マンガ喫茶006]『BLUE GIANT』が教えてくれる教師論

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いま私の中で最も続きが気になるマンガを3つ挙げるとすれば、

の3作※1。その内、『BLUE GIANT』の話。

『BLUE GIANT』は、高校でサックスに出会った主人公・宮本大が、Jazzサックス奏者を目指し、突き進んでいく話。アツい。巻を追うごとにどんどんアツくなってくる。マンガから音が聞こえてくるような濃さ。最近はトリオの成長や人間関係のあやのようなものも話に入ってきた。

という本筋からだいぶ逸れるが、第3巻に文化祭で演奏するエピソードがある※2。今年度の3年生のガイダンスで紹介したのだが、ここ(pp. 34−37)での黒木先生とのやりとりは非常に示唆に富む。もし「教育原理」などの授業を担当していたら、この4ページを資料として1時間授業ができる。極端に言えば、ここに描かれているのが「教師のする仕事」のほとんど全てだと言ってもいい。

つまるところ、ここで描かれている音楽担当の黒木先生は、

  1. 生徒一人ひとりを個人として尊重し、
  2. 生徒の状態に応じて具体的で的確な対応をし、
  3. (生徒自身が取り組むことによって)わかった・できたという感覚を生徒が持つことに成功している

(そう一般化してしまうとどうにも味気ないので、ぜひ実際に手にとって読まれたい)。このいずれかに不足があると感じる、あるいは(理不尽ではない)同僚にそう判断されるのであれば、確かに研鑽が必要と言える。1.ができていないなら、信頼して生徒が頼ってくるとは思えないし、生徒を十分に理解することもできないだろう。2.ができないなら、教科指導の知識・技能が足りていないのは明らかだ。(その把握は簡単ではないが)3.ができていないなら、何かがうまくいっていないということだろう。今のやり方を見直してみるべきだ。

上記の3つを「『教師のする仕事』のほとんど全て」と書いた。教師が担うべき仕事で、もう一つここに描かれていないことがあるとすれば、それは

4. 次の学習のために適切なフィードバックをする

ことだが、少し後のシーン(pp. 46−48)で、黒木先生は宮本に必要十分なメッセージを送っている。作者の温かい教師像が嬉しい。

語弊を恐れずに言えば、教師は仕事中、この4つに関することに専念してほしい。少なくともその理想と志向を失わずにいたい。既に多方面で指摘されていて、それにもかかわらず一向に改善しないことだが、今の教師は抱えすぎだ。社会に余裕がなくなり、そのしわ寄せが学校に放り込まれるようになればなるほど、世の中が教師に多くを求めれば求めるほど、それに応えようとする「良心的な」教師が上記の4つに照らして自他の実践をふり返る時間をますます奪われるのだとしたら、かなりの程度既に現実だという気もするが、私にとってそれはまるでディストピア小説の世界である。

加えて言えば、どう生徒に向き合い、どういう内容・方法でどう指導し、学習者の変容をどう理解するかの道筋は一つではなく、個人として、教師集団として追究していくべきものだろう。育成指標だのコア・カリキュラムだの昨今議論は喧しく、それを考えることが無意味だとは言わないが、一つのレーンで、決まった鋳型にはめ込んで同じタイプの教員を量産しようとする養成・研修だとすれば、それもディストピア小説の世界だ。現実はどうだろうか。

宮本は生徒として手がかかったわけではない。黒木先生と過ごした時間も決して多くはない。だが、彼との関わりの中で、黒木先生は音楽(教育)について新たな気づきを得た。宮本という生徒と出会えたことは、黒木先生の教師人生の中で幸福な経験だったと言える。

※1 『重版出来』は4巻が出る前ぐらいからハマってるが、放送中のドラマが原作を尊重して作られているのが嬉しい。

※2 商売上手なことに『The Sounds of BLUE GIANT』なるコンピレーション・アルバムが発売されている。宮本がここで演奏した”Countdown”を聞けば、彼がこの舞台で「ジャズの良さを、ジャズがカッケエんだってのを圧倒して見せ」(p. 46)たことが、さらによくわかるだろう。

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