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  • 三宅なほみ・白水始(2003).『学習科学とテクノロジ』放送大学教育振興会.

従来の教育研究方法では,ある効果を生む要因が何かをはっきり定めるためには実験するのが普通だった。ある働きかけが有効かどうかを確かめる一つの方法は,そういう働きかけをするグループ(実験群)と,それとできるだけ同質で働きかけだけをしないグループ(統制群)を設けて両者の成績を比較し,実験群の成績が統制群のそれよりも統計的に有意に良いならば働きかけに効果があったと認めよう,という手段である。学習科学がこういう手段を取らなくなった理由はいくつかある。一つには,人が何かを学ぶ過程にはたくさんの要因が互いに影響しあって作用しているので,そのうちの一つだけを取り出してその影響を調べようというやり方には,そもそも無理があると認められるようになってきた。もう一つとしては,学習がうまくいく働きかけをしようとしている時,比較のためとはいえ,初めからうまくいかないと想定される統制群を作って『実験』していいものかが疑問視されるようになってきた。分かりたいことは,どういう学習活動が起きたらどれほど望ましい学びが起きるのかであり,そういう学習活動を起こすにはどうしたらいいか,である。この問いに答えることができる方法があるなら,実験しなくてはならないということはない。むしろ,まずきちんとねらった成果が出るような実践をすること,そしてその上で学習者が何をしていたのかを理解することが大切であろう(三宅・白水 2003: 70。下線は引用者による)。

英語教育学界では,未だに「認められるようになってきた」とは言い難い。

自分の実践の効果について発表している先生が,同僚の先生のクラスを「統制群」と呼んでこの比較の体裁を整えようとしてたりするのはまだカワイゲがある。ムリクリな帰結に注意して,その先生の実践の良いところ・改善できるところを見出してあげればまだしも生産的になり得るからだ。

たまに「実験後に補償のための授業(・説明・活動)を行っており」といった但し書きをつけている人がいて,後者の点について意識はあるんだなと思うものの,上の引用と逆の言い方をすると,目の前に(そっちの方が)うまく行くと信じている内容・教え方があるのに,それをやらずにいれるという心持ちがよく分からない。クリスマスに最高と思うデートがちゃんとできたのに,28日ぐらいになってその補償デートだと言って彼氏・彼女は許してくれるだろうか???

恐ろしいと思うのは,日々学生・生徒に教えていながら,後者の点について全く考えたこともないという感じの人。怪談でも笑い話でもなく,結構いる。