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ゼミ生には加入の際に『論文の教室』を買ってもらっている。旧版が出た時に手にし、非常勤講師として初めて授業を担当した時からレポートの書き方で紹介しているから、もう10年以上の付き合いになる。

木下是雄さんの文献ぐらいしかバイブル的存在がなかった頃と比べ、現在ではレポート・論文の書き方に関する文献は枚挙に暇がなく、逆に玉石混交の海をかき分けるのに苦労しそうな時代となった(その内『レポート・論文の書き方の本の選び方』が出てくるかも知れない)。そもそもその全てを渉猟して吟味する余裕はないのだが、どういう本が出てきても、私は論理学・科学哲学を背景とする戸田山さんの構成や語り方を好む。

私が初めて手に取った戸田山さんの著作は『論文の教室』ではなく、『論理学をつくる』(名古屋大学出版会)である。野矢さんはとっくに北大にいなかったが、ちょうど大学2〜3年生の頃は論理学の本を浅く読み漁っていて、おっきい本が魅力的に思えたのだろう(表紙には次のようにあるのだが)。

初心者向けの定評ある教科書には分厚いものが多い。サミュエルソンの『経済学』しかり、ワトソンの『遺伝子の分子生物学』しかし。この教科書もずいぶんと分厚い。でも、すぐれた教科書はすべて分厚いということと、本書も分厚いということからは、本書がすぐれたものだということは論理的には出てこない。なぜ論理的に出てこないのだろう。そもそも、「論理的に出てくる」っていったい何だ。(後略)

身の丈に合わない高い買い物をした。

大学院で認識論や科学哲学の文献を渉猟していた頃、同じNHKブックスで

が出た。科学的実在論が当たり前だと思っていても、自然科学教育の議論などでは社会構成主義(に自覚的に、あるいは無自覚的)に基づく(と思われる)議論がよく出てきたりして、戸田山さんの説明が非常にありがたかった。科学哲学で議論されている内容以上に、自分が自明視している立場を説明しなければならないという事態への対処や、自分の立場を自明視している人にどう問題を意識させるかという点で示唆を与えてくれた文献である。そして、あちこちで言っていることだが、私はとにかく対話篇が好きなのだ(ただし上手なものに限る)。死ぬまでに自分の専門で良い対話篇を書きたいものだ。

こんなことを言っては失礼だが、『科学哲学の冒険』を読んだ時につくづく思ったのは、対話篇じゃなければこの内容が広く読まれることはとても期待できないだろうということだ(だって『知識の哲学』(産業図書)だって良い本だが、やはり…)。しかし、対話篇ではなくても、そのエッセンスを伝えることにある程度成功しているのが

だ。第Ⅰ部だけでも読めば、世間を必要以上に騒がせ世間が必要以上に騒ぐ「STAP細胞」研究の問題もずいぶん見通しがよくなるに違いない。

今日の授業でも本書の一部(第6章)を紹介した*のだが、軽い驚きだったのは、「小保方さんに対して『研究者』の対応や評価が冷たいように感じていた(が話を聞いていろいろと理解できた)」という学生が少なからずいたことだ。この授業でもなければこの話題に言及することはなかったと思うが、

  1. 学生たちは今回の件についていろいろ見聞きしいろいろ考えている
  2. こちらには関係のない話だからと今回の件や、科学の考え方・方法一般についての対話を怠ると、学生は科学(者)の世界をますます遠いものに感じてしまうおそれがある

といったことに改めて気づかされたというか。と書いているところに、こんな記事が:論文の書き方は瑣末な問題ではない – 発声練習

どうでもいいことだが、『科学哲学の冒険』の奥付の戸田山さんは亀田誠司さんにちょっと似ている。ただし、この写真だけで「戸田山さんは亀田さんに似ている」ということは論理的には出てこない。

* 「とにかくデータを得ました!」というのではダメで、そのデータをどう解釈するかや、そもそもRQsに対して必要十分なデータを得るためのデザインが重要となるという話のため。

Let there be light reading.