[雑感008] There構文を引き出す難しさについての覚え書き

Pocket

恒例の(と言ってもまだ2年目ですが)信州大学酒井ゼミと合同ゼミ合宿を開催しました。今年は、外国語教育メディア学会中部支部外国語教育基礎研究部会(通称、基礎研)のメンバーを講師に招き、マイクロティーチング&マイクロリサーチを実施してもらいました。中身について、まずはこちらの記事をお読みください。

アンサー投稿みたいなものですが、there構文指導の難点についてずっと考えていたことでもあります。長文失礼。

There構文について「(information gapsを利用するような)コミュニケーション活動とも比較的結びつけやすく、中学校の内容の中では教えやすい文法項目のほうだ」と考えている人は少なくないかもしれません。しかし、意味的・機能的に自然な文脈で導入しようとすると、there構文を何度も引き出し理解をもたらすのはそう簡単ではないというのが私の意見です。

私が接してきた学生・生徒の限りですが、Spot the differenceをやってみると、このタスクを遂行する上でthere構文は実はそれほど必要ないということが分かります。絵や写真の工夫でがんばることも可能ですが、結局お互いの違いを見つけるために重要なのは、物を表す名詞句(あるいは動作を表す動詞句)と場所を表す表現(前置詞句など)だからです。時間制限があればなおさらで、

“Can you see … two snakes under the table?”

“Really? I have … one snake there.”

(イェーイ)

といった主語・動詞のある文のやり取りが出てくれば良い方で、松村 (2012)が指摘しているように、

“Snakes … two …  in my picture.”

“Oh, different …… one snake … OK, next.”

なんて断片的なやり取りで作業が進んでいく姿は頻繁に見られます。

そもそも英語母語話者がこういったタスクに取り組む際に、実際どの程度there構文を用いるのかというのも興味のあるところです (データをお持ちの方がいたら教えて下さい)。Spot the differenceは典型的な教室用タスク(pedagogic tasks)ですし、母語話者と全く同じようにthere構文を用いなければならないということもないのですが、あるいは(後の絵の描写も含めて)空間的な違いよりも、例えばお互いのスケジュールを持ち寄って予定を決めるというようなタスクのほうが、

“There’s a meeting and a party Wednesday. How about you?”

といった発話を引き出せるのではないかと想像します。ただ、それとてI/We have …といった別の言い方を妨げるものではありません。このことは、focused tasks(特定の文法形式の使用をねらったタスク)で「義務的文脈」を構成するのがいかに難しいかということを物語ります。

今回の実験のデザインでは、there構文をたくさん引き出し、implicit corrective feedbackをできるだけ多く与えたかったわけです。それを追い求めるとSpot the differenceの各ペアに仕込みの対話者を配置するやり方が思い浮かびますが、授業としては(今回の実験で実施可能な条件としても)現実的ではありません。それでも、特定の形式の使用をねらわないunfocused tasksということであれば、pre-taskは悪くはなかったと思います。その後の絵の描写も、田村先生がthere構文を何度も使うのを聞くexplicit focus on form instructionとして十分効いていたのではないでしょうか。実際それによって、事後テストでは有意な、効果量大の変化をもたらしたわけです(分布を見る限りその解釈は、「feedbackが学習者の頭のなかにある明示的知識に対してcorrectiveに機能した」というよりは、事前テストの得点が高かったものは最初からこの規則を知っており、事前テストの得点が低かったものはトリートメントを通じてほぼ初めてこの規則について意識するようになった、ぐらいの感じかと思いますが)。事前テストと併せて「お前らthere構文を意識しろよ!」という間接的メッセージがかなり濃厚なinput enhancementだったので、間違い探し活動がpreではなくpostとして実施されたならどうだったかなと思わなくもありません。また90分のマイクロティーチング&マイクロリサーチという今回の条件を超えたところでは、項目ごとの結果を見れば新しい発見があるかもしれませんし、個人的には、時間が経っても学習したことが残っているか、自分で他者の誤りを訂正できるぐらいのimplicit learningが起こっているかということに関心があります。

田村さんが指摘する通り、参加者の多くは、there構文の導入において部屋の描写活動を利用することに馴染みがあります。現在、静岡で採択の最も多いTOTAL Englishはまさにそのような活動を配置していますし、TOTAL Englishの前に附属中学校で採用されていたNew Crownにも、3人の部屋を見分けたり自分の理想の部屋について伝え合うPracticeが用意されています。ちょうど教育実習中に自ら教えたり他の人の授業を見学したりする機会の多いところでもあります。 その一方で、活動が思うように盛り上がらず苦労する姿を見ることも少なくありません。

「there構文」でググると最初に出てくるサイトにもある通り、there構文は、事物の存在を「新しく話題の中に導入する」ために用いられます。つまり話し手・書き手は、聞き手との会話に登場していない、あるいはそれまでの文脈では読者に意識されていないことを持ち込むためにthere構文を用いるわけで、逆に言えば、その文脈の中で既に話題にのぼっていることであればthere構文を用いる必要はないわけです。このことは、文法解説書などを通じて、以前よりも英語教師の多くに共有されるようになった知識ですが、実際にそれが理解できるように教えられているかというとそうではありません。ややもするとthere構文の指導は(「…がいる」・「…がある」と単純にイコールにされた形式の練習を繰り返すだけの)パターン・プラクティスになりがちで、その主たる原因になりかねないのが実は間違い探しや部屋の描写だと思うのです。

理想の部屋について話したり、自分の学校や教室にある珍しいものを紹介する活動であれば、What’s in your room/school?という問いに対してthere構文で答えるのは自然です。事物を新しく話題に持ち込む必然性があります(本実験のねらいとするa NP1 and a NP2を引き出すのは難しいでしょうが)。一方、間違い探しは多くの場合、お互いに同じ情報を共有した上で配置や数の違いを探すことになります。そのような状況で例えばWhere’s a cat?と聞かれた場合、猫は既知の話題となっているわけで、there構文を用いるのではなく、The cat is on the mat/under the table.などと答えるのが適切です。田村さんがふり返っている通り、部屋の描写で「テレビはどこ?」「何が見える?」と聞いていく場合にも同じことが言えます。学習者は思っているよりも敏感で、コミュニケーション上不要な表現をわざわざ使おうとはせず、必要最低限で済まそうとするものです。今回の実験でも、参加者からthere構文を引き出すには、もう少し「何がどこにあるか田村さんには全く分からないので、説明してあげなければ!」といった設定を納得してもらう必要があったと思います(実際には田村さんには絵が見えており、自分で操作をしているわけなので)。

大学生に授業をしているとむしろ、このS+be+PPを必要な時にパッと出せないことのほうが気になります。その原因は、there構文の必然性を意識した指導を受けておらず、「…がいる/ある」という日本語と過剰に結びつけてきてしまったせいではないかと訝っているぐらいです。なので、日本語母語話者に授業でthere構文を教えるということだけで言えば、形式の一致規則よりも、上で述べたthere構文の意味・機能の理解が得られるようにし、類似の意味をもつ他の表現との適切な使い分けができるようになることこそが重要で、実際に多くの学習者にとって課題となるところでしょう(私はこのように「わざわざ明示的に指導する価値がある内容は何か」ということをまず考えます。ちなみにメタ言語を使用するかどうかということは内容と学習者の状態が決めることなので、私にとっての重要性は二次的なものに過ぎません)。そもそもこれは今回の実験のフォーカスではありませんが、授業としては、今回のタスクや活動の問題はそういったことに収斂していくように思いました。

一方で、今回の実験には先行研究に基づく理論的背景があり、研究として明らかにしたいことがあります(こちらを参照)。それを示すのに当該の現象が本当に適当なのかということは議論の余地があるかなと思いますが、田村さんが「失敗」だと感じているのは、そこでの意図通りに進まなかった(にもかかわらず、指導技術の一面だけを評価されたように感じる)ことにあると思われます。しかしながら、「学習者は教えた通りに学ぶわけでもなければ、教える側が意図したように学ぶわけでもない」ことを示すことも今回のねらいの一つだったと思いますので、その点では良かったし、目的を果たしたと言えるのではないでしょうか。

田村さんが冒頭で説明している通り、今回のワークショップは、テストの実施から分析結果の提示までの研究の一連の過程を見せるというもので、私としてはそれだけでも有り難いと思っていたのですが、理論的な背景についても丁寧にしてくれた上に、研究活動全体からこの一連の過程を俯瞰で捉えた総括までしてくれて、私としてはただただ感謝しかない90分でした。それに加えて田村さんの今回の記事です。特に「最後にひとつだけ」以降の指摘に心から感謝したいと思います。田村さん個人の反省はともかく、初めて会う学生・院生が大半の集団を相手に、しかもわれわれの目がある中で、あれだけなりきったパフォーマンスができるということに私は賛辞を惜しみません。

0

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です