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文科相が、学習指導要領の改訂を諮問したという。

わからないことがある。いや、わからないことだらけだ。

教科書問題や新しい教科・領域の導入の際に話題になるので、「学習指導要領(の改訂)」という言葉自体はわりと知られている。しかし、その改訂によって、何がいつどう変わるのかということは意外と知られていないように思う。報道でも細かく説明されることは少ない。

諮問に対して中教審が答申しても、すぐに実際の教育課程が変わるわけではない。上の時事通信の記事にあるように、

指導要領は約10年ごとに改定され、現行要領は小中が2007年度、高校が08年度に改定、11年度以降順次実施された。中教審は16年度中にも答申し、20年度以降、新要領に基づく授業がスタートする見通し

なので、仮に、いま話題となっている流れのままの指導要領が2016年度に告示されたとしても、小学校で英語を教科化したり外国語活動の開始時期を早めたりといったことが実際に始まるのは2020年度からということになる。どこまで本当かわからないが「東京オリンピックに合わせて変える」ことが目的だとすれば、むしろ、2020年度に開始するためにこのタイミングで諮問したと考えたほうがいい。

2020年度というとだいぶ先のことに思えるし、実際だいぶ先のことで自分がどこでどうなっているかもよくわからないぐらいだが、こと教育課程についてはそうではない。文科相が変わろうが総理大臣が変わろうが2020年はほぼ間違いなくやってくるし、その時小学校に入るのは昨年度生まれたベイビーたちだし、小学校で現実に教科として英語の授業を受けて評定を付けられることになるかもしれないのは2008年4月2日以降に生まれた子どもたちなのだ。彼らに選択肢はない。そういうことを今決めようとしている。保護者のみなさんはそのことをわかっているだろうか。

ただし2018年度、2019年度に高校に入学した(基本的に2004年4月1日以前生まれの)子どもは、2020年時点で高校生であっても新しい指導要領を経験することはない。ここが一つのポイントで、小学校・中学校と、高等学校では変わり方が違うのだ。小学校・中学校は開始時に全面実施、高等学校は第一学年から学年進行で順次実施。だから、上の記事では十分に説明されていないことがある。「現行要領は小中が2007年度、高校が08年度に改定、11年度以降順次実施された」とあるが、高校の現行指導要領が完全実施されたのは2013年度入学者から。つまり、2008年度改訂で導入された「英語コミュニケーション」や「英語表現」を履修し、「4技能統合型」を謳った授業で学んでいる(ことになっている)のは1年生と2年生だけ。3年生は今でも旧指導要領の科目で学んでいる。「された」ではなく「されつつある」と言うべきなのだ。高校関係者にとってこのことは自明だが、一歩外に出るとそうでもないので敢えて説明した。

で、わからないこと。現行指導要領はまだ完成年度を迎えていない(「まだ完成年度を迎えていない」に傍点)。だのに改訂を諮問?How come? What the hell are you talking about? 義務教育課程の範囲では完全実施されたという主張もありそうだが、小学校・中学校だって、6年間・3年間の全てを現行指導要領で学んだ児童・生徒はまだいないのだ。それって、結婚してよかったか悪かったかもわからない内に次の人と結婚しようとするようなもの?ひでえヤツだ。

小学校5、6年の外国語活動の成果はどうだったのか、「オーラルコミュニケーション」や「リーディング」、「ライティング」を無くした結果、高校英語教育の実態はどう変わったのか変わらなかったのか、その結果に目を向けずして、どうやって次の教育課程の方向性や内容が決められるというのか。大学や学校現場には「PDCA」だの評価サイクルだの厳しく求めるくせに、根幹の教育課程の大綱についてそれ無しで行こうとするのは、行けると思うのはどぼちて?教育課程実施状況調査だって、2008年指導要領についてはまだ行われてませんよね?いくらなんでもそりゃ無責任すぎませんか?

さらにわからないのは、このことを指摘する報道も記事も見かけないこと。英語教育関係者に至っては「いよいよ小学校も教科化だ!」と小躍りする感じの人さえ少なくなくてゲンナリする。成果や課題について検証も評価(の報告)もなく、教育課程が変わり、押し付けられる。それを是とするのは学問的な態度としてどうなんですか、ねえ。先生、あなたもかよわき大人の代弁者ですか。自分の子どもは英会話教室や塾に通わせてるし、家庭環境もゴリッパだから世の中がどうなろうと知ったこっちゃないですか。ああそうですか。仕事ください。

学習指導要領がまともな評価プロセスを経ずに改訂されてきたのは今に始まったことではないのだが、もう一つわからない、というか気になるのは、上の報道の全てで「改定」という言葉が使われていること。学習指導要領に対してはこれまで「改訂」という言葉があてられてきた(今のところ当の文科省もそう)。いま指摘したことから言っても、実態からズレは大きいものの、そこには「前の教育課程をimprovementした」というニュアンスがあったはずだ。実態がそうでないとすればなおさら、そういうものにしていかなければならない。そして、高校までを含めれば12年に渡る公教育の根幹が、数年程度でコロコロ変えられる(べき)ものとはどうしても思えない。それは国の教育政策が失敗をくり返している(あるいは、その決定のプロセスがグダグダなのでしょっちゅう変えにゃならんのです)と自ら認めているようなものではないのか。

一社だけというわけではないので、報道機関が元にした何かが「改定」を使っているのだろうと思う。それが誰の手によるものかが気になる。もし文科相の報道発表資料に使われた言葉で、今後「改定」という言葉で行こうとしているのだとすれば、それもなんだかキナ臭さが漂う。彼らと私の語感が一緒だとして、電車やバスの運賃の「改定」のように学習指導要領は変わるものだという姿勢を伝えようとしているのだとすれば、それは、「前の教育課程をimprovementした」のかどうかという問い自体が無意味化され、管理・統制の色合いがいっそう濃くなることを意味している。第3の権力も機能せず、研究者も教師も声を上げずにいる内にそんなことがしれっと進められるのだとすれば、抑圧や悪条件のなかで教育実践を切り拓いてきた先人たちも浮かばれない。

今度の選挙での選択は、だいぶ先とも思えるこの話とも多少なりとも無関係でないことは覚えておいたほうがいいだろう。なりすまされた小学校4年生こそが、高校1年生になった時に今とは違う指導要領で学ぶことになる最初の学年なのだ。そして、くり返すが、彼らに選ぶ権利は与えられていないのである。