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昨日の英語科謝恩会でこんなことを話しました、という話(補足アリ)。

みなさん、卒業・修了おめでとうございます。本当におめでとう。

追いコンの時に「何かをすれば後悔もする。大事なのはその後どうするかだ」というお話をしました。「人は誤るもの」という意味で言えば、これは、一度の結果、あるいは失敗や過ちで(もっと言えば成功もですが)他人のことを判断しないでほしいというメッセージでもあります。特に4月から教壇に立つみなさんは、一回の授業、一回のテスト、一回の活動、一回の発言で分かることと分からないことと慎重に見定め、児童・生徒の何かを決めつけることのないようお願いします。その子なりの「後悔」があるわけですから、その後のために何ができるか考えましょう。

「後悔しないように」と並んで、僕があまり好きではない言葉に「人に迷惑をかけないように」というのがあります。もちろん他人に積極的に迷惑をかけようと言いたいわけではありません。でも、この言葉は往々にして「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」、「別に迷惑かけてないからいいじゃん」という自分勝手な意味になりがちです。それは狭い視野で物事見ているから言えてしまうことで、そんなわけはない。よく考えれば、例えば今日われわれがこの会場を使っている分、どこかのグループが予約を取れず別の場所を探さなければならなかったかもしれない。みなさんが入学した分、就職した分、その場所に立てなかった人がいるわけです。われわれの今は、誰かにかけた「迷惑」の積み重ねであると言ってもいい。

つまり「人に迷惑をかけないように」という心がけは、もともとは「どうしてもいろいろと迷惑をかけてしまうものだけれども、なるべくかけないように」ということのはずです。そう、後悔と同じように、社会の中で生きている限り迷惑もかけてしまうものなんですよね。人間だもの(みつを)。これまでの学生生活をふり返った時、自覚のある人もいるでしょう。(中略)ただ、この話を通じて僕は、「迷惑をかけてます!あらゆるものにゴメンナサイ!」と卑屈になったり開き直ったりしろと言いたいわけではありません。やはり問いたいのは、「何かしら人に迷惑をかけているものだとして、それに自分はどう応えていくか」ということなんです。生きている限りいろんな人にいろんなところで「どうしてもいろいろと迷惑をかけてしまう」けども、どういう迷惑のかけ方なら相手も「いいってことよ」となるのか。

われわれの場合それは、その「迷惑」が、みなさんの望む結果、望む進路、望む将来につながっている場合です。仮にどんなに「迷惑」をかけられたとしても、みなさんが「迷惑」をかけたと感じていたとしても、こうして今日のような日を迎えたり、風の噂でみなさんの活躍を聞いたり、リユニオンで元気な姿を見たりすると、その迷惑感なるものは一瞬で消えてしまいます。むしろ懐かしく思いさえします。だから、もし今みなさんの中に「先生には迷惑をかけたなあ」という気持ちがあるとしたら、どうか卒業後ハッピーでいてください。リア充で、健やかで、元気でいてください。あんなに迷惑をかけておいて、みなさんが悲しくてつらくて元気がなかったら、われわれも悲しく報われない気持ちになります。いつもハッピーというわけにはいかないでしょう。だから途中でつらくなった時、悩んだ時、「先生に迷惑をかけないように」などと思わず、引き続きどんどん迷惑をかけに来てください。実を言えばわれわれや大学がみなさんにかけていた迷惑も相当なものですから、そもそも頼ろうと思ってもらえるか、ちゃんと役に立てるかどうかはわかりません。でもそういう心構えでみなさんを送り出すし、いつもそういう気持ちでいるということを覚えておいてください。

とは言え、今日この会場に迷惑をかけすぎたり、街に迷惑をかけすぎて世知辛い世の中からお叱りを受けると困りますから、あまり迷惑をかけないようにしてください。以上です。卒業・修了おめでとうございます。