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手に取ったら最後まで止まらずに読んでしまった。

語り口の優しい良書。『英語のソーシャルスキル』の易しい版という感じで、小1時間もあれば読み終えることもできるが、中身は決して浅くない。

当然ながら、巷に溢れる「ネイティブはそんな言い方しませんよーだ、ばっかじゃねーの、へっへっへーい」本とは一線を画す。本書の姿勢は冒頭の次の一文に凝縮されている。素敵です。

最近よく論じられる、相手の対面を傷つけないことを重んじた消極的な丁寧さということではなく、相手とのよき関係を結ぶための、積極的に相手に近づくことを重視した対人関係表現というものを考えたいというのが著者の意図である(p. 2)。

特に、最初の章が「呼びかけと親愛文末」というのが良い。「What time does the store close?という文はwh疑問文(で問い返し・確認ではない)だから、下降調で言うもの」と思っている英語教師は手に取るべきだろう。加島祥造『会話を楽しむ』に通ずるものを感じる。ここでは豊富に挙げられている例文を省くが、

下降調の与える断定的な強い印象を避けるためには、(中略)上昇調で言うか、あるいは文末に名前などの呼びかけを使うことになる。(中略)英語話者にとって個人名は非常に愛着のあるもので、それを理解しない日本人が、英語を話すとき名前で呼びかけることを怠ったとしたら、「失礼な英語」になりかねない。(中略)呼びかけの重要性は日本語と英語で全く異なる。英語では主にfirst nameで「親愛」を、famiy nameと敬称で「尊敬・敬愛」を示すほか、相手に対するさまざまな感情をbuddyやyoung manなどで表すなど、待遇表現機能をもっている。それに対して日本語では待遇表現には多様な方法が使われるけれども、名前を呼ぶことには大きな機能を負わせていないといわなければならない。(中略)親愛その他を示す呼びかけは(中略)圧倒的に文末が多い。文末にくるものはほとんどが親愛表現である。このことは1-2で述べた上昇調とも関係してくる。つまり、断定的でない印象を与えるために文末に呼びかけを加えることが多いということである。文末に名前を呼ばす下降調が多いとしたら、日本人の英語は「冷たい」感じになるおそれがある。(pp. 9, 24, 26-27)。

第2章では日本語の補助動詞の使用頻度や対訳の分析を中心に、日本語と英語の特徴が考察されている。

(中略)日本語では話し手が聞き手のいる「場」を強く意識していることが、英訳では出ないことが多いということである。訳出されない用法は、実は外国人にとって習得が難しいものと共通していると言える。つまり日本語の寄り添い、あるいは「場の共有」の意識が、英訳しにくいのだと考えられる。(中略)英語の待遇表現の重要な要素が「親愛」であるとすれば、日本語のそれは「寄り添い」あるいは「共存」である。英語で親しみを表すために相手の名前を呼ぶことが大切なのは、話す相手を確認して相手との関係を意識するためである。いっぽう日本語ではそのために相手の名前をいちいち確認する必要はない。極言すれば、相手が誰であるかは問題ではなく、自分と場を共有していることで十分なのである。英語で親しさを示すための呼びかけは相手との関係に確認が必要であるが、日本語ではそうではない。相手は共存者だからである(pp. 49, 57)。

第3章では、このことが「あいづち」の考察によって与えられている。(専門ではないので一母語話者として)日本語に関する分析については留保が必要なところもあるかなと感じたが、以下のような英語話者が持つ意識についての記述はやはり興味深い。

punctuating every sentenceという表現があったが、英語では自分の始めたsentenceは自分で終わらせるものだという観念があるようである。それが実行できないような状態になればinterruptionと解釈するのも当然である。しかし日本語ではそうした観念はない。むしろ文を自分で終わらせないで相手にあとをまかせる。(中略)あいづちの多用は、話し手と聞き手の文づくりを共同作業と見ることで、共同作業は「寄り添い」の意識の現れであると言える。それに対して英語の談話の展開では、相手が話す間はじっと待つ態度を大切にする。それは相手を他者と認めて尊重することである。談話の展開における待遇表現の重要な要素は、英語は「尊重」であり日本語は「寄り添い」であろう(pp. 61, 84)。

第4章・第5章は、上記の分析の実際の言語行動への反映を記述している。やはりこちらも英語についての、「要求はためらわずにはっきりという、つまりdecisive(決然としている)であることが高く評価される…:(p. 91)、「…説明に対する彼女の情熱の強さ…(p. 99)」、「enjoy disagreeing」(p. 100)、「英語のYou have clarified it.は、明確な感謝と同時に相手の努力に対する評価が入っている。相手を評価するという姿勢がcompliment、つまりほめことばにつながるのだと言える」(pp. 107-108)といった実例に基づく記述が興味深かった。前後の詳細は原文を参照されたい。

語用論(的指導)の研究成果が応用されるにつれて、「こういう言い方をすれば丁寧」といった解説を目にする機会は以前と比べれば多くなったと言える。英語教師・学習者の側でもそういう意識は高まってきたと言えるかもしれない。ただ他方で、「こういう言い方をすれば丁寧」が「こういう言い方さえしておけば丁寧」となってしまっている側面も否めない。「ポライトネスは言語表現に固定的なものではない」というのは語用論をちゃんと勉強した人なら分かりきったことだが、本書を推すのはそこの勘所が見過ごされていないからだ。例えば「家族でもCould I …?」という一節にあるのが次のような記述。

英語では発話意図が相手に対する依頼となると、同じ相手でも調子を変えるということである。日本語では発話意図によって同じ相手に調子を変えるということは少ない。ふだん「〜してちょうだい」と頼んでいる娘に対して「〜してくださいませんか」と言ったら、皮肉のような感じになるであろう。

おおざっぱに言えば英語の話し方は流動的であるが、日本語のほうは固定していると言えよう(p. 118)。

最後に、翻訳を専門にしている英語話者に著者が訊いた「日本人の言語行動で好意がもてないこと」。個人の見解であると著者も断っているし、あくまで「参考にしてほしい」という柔らかな置かれ方なのだが、中学校あたりでも比較的意識が向けられるのはb)とc)ぐらいではないだろうか。

・a) too forcefulーー高圧的に押しつけるイントネーション

・b) asking personal questions like one’s ageーー年齢など個人的なことを尋ねる

・c) lack of direct eye contactーー視線を合わせるのを避ける

・d) inappropriate laughingーー不適切なときに笑う

・e) aizuchi interruptionーーあいづちで話をさえぎる(p. 128)

いわゆる「流暢な」英語を話し、本人も英語を使いこなしていると思っていて母語話者も話は聞いてくれているけれども、心の中では実は不快に感じている(から話や関係が深まらない)ということは結構ありそうだ、例えばあの人とかあの人とか…などと考えてしまったのはここだけの話(私自身も「d)なんか、やっちゃってるなあ」と反省しました)。

Let there be light reading.