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前期も終盤。この時期のゼミは毎年、教育実習を終えて戻ってきた3年生を中心に、文献を読んでいる。今年は、

を1、2章ずつ検討して、その内容を反映させた模擬授業に挑戦してもらうことにした。

提案してゼミ生の了承を得る(理想は反対動議が出て、ゼミ生からもっといい文献が提案されることである)ものの、文献を選んだ理由を全てつまびらかにすることはない。ゼミ配属時の面談で聞いた希望も踏まえているが、4月からのゼミや教育実習での様子を受けて、担当の割り当て方も含め、指導教員の思惑を色々反映させて選んでいるからでもあり、事前に読み方を水路づけることはあまりしたくないからでもある。

本書は英語教育の話というより、教師向けに書かれた、教科横断的な発問の手引書。ただし「発問」と言っても、教師から投げかける問いと、生徒が自ら発する、あるいはお互いにし合う問いの両方を扱っている。第1章は発問の目的について。第2章は、よく知られたclosed/open-endedの区別に始まり、これまでに与えられてきた様々な発問の分類の紹介。

この部分までで言えば、書かれていることを正確におさえるのはもちろんだが、特に、

  • 授業での発問の目的を明確にする必要性
  • Krathwohlらによる情意領域の分類と関連させた発問の扱い

が論点になるだろう(中高の英語授業ではまだまだ考慮が足りていないことが多い部分なので)。ゼミでは、報告者のまとめと議論はそのように進んだ。

それだけであればこの記事を書こうとは思わなかったのだが、私が本書と模擬授業を通じて実感し考えて欲しいと思っていたこと(上で述べた「文献を選んだ理由」)の一つが、模擬授業後の議論の中で学生から指摘された。それは、

  • 発問(もっと一般的に言えば、与える問い・課題・活動)に対して想定される応答を考えておくことの重要さ

だ。たいていの指導案には「予想される生徒の反応」を書くわけで、当たり前のことと思われるかもしれない。しかし実際の授業を見ていると、ある程度経験のある教員でも、この部分の想定が十分にできていなかったのだろうなあと感じることは少なくない。「正解」が出ることしか考えていなかったり、多様な回答が許される場合の引き出し方や受け取り方が考えられていなかったり。多くの学生は先ずは授業を成り立たせることでいっぱいいっぱいなのだから、模擬授業や教育実習中の研究授業についてはなおさらそうである。

上述の分類に対応させて整理するならば、つまり「発問を考える」というのは、

  • Closed questionsについては、どういう誤答のパターンがあり得るか(、そして学習者のどういう認識の状態がその誤答をもたらしたのか)
  • Open-ended questionsについては、どういう回答のパターンがあり、授業としてどう引き取るか(中心課題に照らして、まとめるのか、敢えてまとめず学習者に預けるのか)

を、それぞれに対するフィードバックの返し方も含めて、考えることと表裏一体なのだということである。

「指導案の通りには行かないのが授業」とは言うものの、指導案の「予想される生徒の反応」が形式を整えるためだけにある先生と、この点に十分に意を砕いて授業に臨む先生とでは、その意味するものは全く違う。後者の先生は、そのためにこそ教育内容・教材の吟味が重要であることをよく知っている。

そういったことを私から言われるのではなく、自ら感じ刻んで欲しいというのが「指導教員の思惑」の一つであった。どうなるかなと案ずるところもあったが、これが出てきただけでもやって良かったなと思う。さすがに初回から出るとは思わなかったので、私の「予想される学生の反応」を超えていたわけだが、これは嬉しい誤算のほう。指導教員の思惑通りじゃないのが良いゼミだ。