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先日、某事業でかかわりのある先生とメールをやり取りする中で、静岡県の高校英語教育の課題を尋ねられた。

私の返信は、全国的には、

  • (1) 無目的な音読・暗唱、自己目的化した単語暗記作業をどうなくすか
  • (2) 先生の荷物をどう減らすか(余計なテキスト・資料・テスト・機材, etc.)
  • (3) パフォーマンス評価の実施・改善サイクルをどう学校内に実現するか
  • (4) 外国語科で身につける思考力・表現力・判断力とは何なのか(学校教育の一環としての、表面的なスキル養成にとどまらない英語教育の内容・方法とは)

が課題だと考えている、というもの。

その先生の勤める高校は、既に(1)に悩む段階は脱し、(2)についても、機器等は先生方の自助努力では難しい面もあるが、テストや教材等についての目線はずいぶん先に進んでいる。(4)は、他教科・学校種間との連携・教科の問い直しも含めて、次期指導要領下である程度実践を蓄積しないと見えてこないだろうから、現状では(3)が主たる課題になるだろう、と添えた。実際、最近お引き受けする研修・講習は(3)に関わる話を中心に据えた構成にすることが多い。

面談や他の作業をしていない限りメールは届いた順にすぐ打ち返すほうなので、このメールに対してもほぼ反射的に上の内容を返信したのだが、自分でもビックリするぐらい迷わず(1)〜(4)が出てきて並んだ。細々したことを並べようと思えばいくらでもあげられるし、『高校英語授業を知的にしたい』などに滲ませているようなことをもっと伝えたいという気持ちもあるにはあるが、これまでの共同研究や授業観察等々の経験から「端的に言えばこれ」というのが降りてきたのだと思う。

後になって考えてみると、もう少し一般化して言えば、上記(1)〜(4)は、

  • (1) 指導技術論
    • ↓↑能力観、学習観
  • (2) 教育内容・教材論
    • ↓↑指導観、授業観
  • (3) カリキュラム編成論
    • ↓↑評価観、教育観
  • (4) 教科の目的論

に対応している、というかそういうことが言いたかったのではないかと思い至った。文法指導の目的・内容・方法の探究とは別に(あるいはそれも(2)の個別研究として、より普遍的には)、(小)中高との関わりを通じて、究極的には(4)を問いたい・問わねばと思っているのだなあ、と返信を通じて私自身の問題意識が整理された感じ。そして、そのためには(3)の実践的探究・体制づくりが肝要だと考えており、その際の解決可能でプラクティカルな現状の問題として(2)が多くの教室、多くの授業場面に散見され、その原因でもあり帰結でもある課題として(1)があるという次第だ。

もう少し考えてみると、(1)と(2)、(2)と(3)、(3)と(4)はそれぞれ重なる部分もあって、そこに影響を与えているのが教師や(私も含めた)関係者の様々な「観」ではないか、というのが行と行の間に付け足した部分。前後の課題を具体的に解決していくうちに、専門職としてそれに関わる必要十分な「観」が鍛えられていく、とまで言えるかどうかは要考察。議論の構造としては、(4)は、返信の時点での記述に「表面的なスキル養成にとどまらない」とあるように、技能習得論やそもそもの能力論、つまり(1)にはね返っていく部分もあるだろう。

現時点では雑感の域を出ないレベルのものだが、現時点の私の英語教育論の腑分けとして置いておく。尋ねてくれた先生に今度お会いしたら御礼を言おう。