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研究社から恵投いただいた。ありがたい。教育英文法のまさにお手本。

1990年刊(ジャパンタイムズ)の原著は持っておらず、復刊の報につい最近接するまで特に本書を思い出す機会はなかった。院生の頃に図書館で借りて読んだはずだが、復刊版を手にとってみると、自分の記憶の弱さを恥じるともに畏れおおくも嬉しい発見があった。

私事で恐縮ながら、三省堂TEN (Teaching English Now) Vol. 39より「リクツで納得!学校英文法の『文法』」という連載を担当することになった。New Crownの本文をベースに、「納得してわかる」解説を目指して書いている。初回は「someとanyはどう違う?」。卒業論文で取り組んだテーマで、冒頭に書いた「学生の頃、文法解説書の『someはふつう肯定の平叙文で使い、疑問文・否定文ではanyが代わりに使われる」という説明に納得が行かず、文法指導にこだわる一つの契機となった」という記述は全く嘘偽りのない事実である*。「持ちネタ」として書きやすかったということはもちろんあるが、これを初回のトピックに選んだのは、10年連載が続けば本になると言われたこともあり、私自身が辿ってきた文法理解の足跡に沿うのが最も筋道として明快で、私自身、納得して書き進められるように思ったからである。

同じトピックの記事が若林 (2018)にもある **。というより、若林 (2018)を読めば私の記事など必要なくなってしまうとさえ言える。両方読んでもらえればなお良しだ。私が畏れおおくも嬉しく感じたのは、若林 (2018)の次の記述。

実を言いますと、ちょっとおおげさな話に聞こえるかもしれませんが、この本を書こうと思い立った第一の動機は、このsomeとanyのことについて、英語を勉強している方々、あるいは、英語を教えている方々に、本当のことを知っていただきたいと思ったからです(p. 81)。

全く記憶になかったのだが、同じことに疑問を感じ、同じことを契機としていたとは!ここで若林 (2018)が明確な説明を得たとして挙げている『英文法の問題点: 英語の感覚』は、私も学生・院生の頃からお世話になってきたわけで、結局スタンド使いは引かれ合うというか、本人にお目にかかったこともなく弟子筋に教わったわけでもないのに不思議な縁を感じる次第である。

というのは私の勝手な思い入れで、もう少しマシなことを言えば、これも、本書の36章が英語学習上の普遍的疑問を捉えていることの証左だろう。自分の連載について「someとanyの次は、博士論文で取り組んだ比較表現かな〜」と考えていたら、これも本書に既にほとんど全て書いてあった。今度は本書を手にした後なので、非常に書きにくい。巨人の肩の上に乗るのも楽ではないが、英語教師・学習者にとって本書が復刊され手に取りやすくなったことの素晴らしさを思えば、私の産みの苦しみなど全く取るに足らない些事に過ぎない…と自分に言い聞かせている。

* ついでに明かせば、そういう説明をしていて当時、批判の対象としたのは江川泰一郎『英文法解説』。さらについでの余談としては、後に『学習英文法を見直したい』で複数の先生がこれを推薦図書に挙げていて勝手にガッカリした。

** もちろん内容をパクってはいない。若林 (1990)を読んだのは院生の頃だし、原稿を出したのは復刊の話題が出るよりずいぶん前。記憶の片隅に残っていて陰に陽に影響は受けているかもしれないが。。。