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[レビュー102] Walsh, Exploring classroom discourse

[レビュー102] Walsh, Exploring classroom discourse

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新潟・群馬・東京とつないで、

の読書会1回目。

本書は、教室談話の理解、とりわけ言語とインタラクションと学習の複雑な関係についての理解を深めることによって、言語教師は、専門職としての自らの実践をより良いものにすることができるという立場に立つ。第二言語習得研究の諸仮説・理論や教室談話の「原理」から教室談話を語るのではなく、実際に教室で交わされたインタラクションの例の談話分析に基づいて考察を展開している点に特徴がある。

第1章では、教室談話の重要な特性として

  • インタラクションのコントロール
  • 発話の調節
  • 反応・応答の引き出し(のテクニック)
  • 修正

の4側面を取り上げている。

1点目についてWalsh (2011)は、そのこと自体の是非は論じず(というよりも教師と学習者の権力的非対称性を踏まえた上で)、インタラクションを”orchestrate”するのは教師であることを指摘し、授業中の学習者の言動に対し、教師が典型的に行うのは(a)質問をするか、(b)フィードバックを与えるかの2つだと論じている。これについて、その2つをできるだけ増やそうと思っているのか減らそうと思っているのか、どちらをより重視しているといったことはあるかといった話だけでも結構盛り上がった。

この手の議論ではよくdisplay questionsとreferential questionsの区別が取り上げられるが、第1章のWalsh (2011)の議論で光るのは、「教授・学習的見地からすれば、displayとreferentialの区別は、教師の指導上の目標と問いの選択との関係ほどには重要ではない」と明確に述べていることだ(p. 12)。要するに、教師の意図が問題なのだ。だから、p. 11に挙げられている具体的なテクニックの内、「モデルを示す」にせよ「理解を確認する」にせよ、それをどういう意図で行なっているかが重要で、こうして括られるモデルの示し方や理解の確認の仕方の違いこそを記述し分けていかなければならないように思う。実際、参加者の関心から、議論は「学習者の反応を活性化する」ことの多面性や、修復(repair)に対するそれぞれの立場について議論が盛り上がった。

後の章で(Walsh (2006)を端緒として)Walsh (2011)が提起するClassroom Interactional Competence (CIC)は、「インタラクションを学習の媒介・アセスメントとして用いる教師と学習者の能力」と定義される点でユニークなものである。つまり、Classroom Englishが教師の英語運用能力として語られがちなのに対して、WalshのCICには学習者が含まれている。私は、現行指導要領下の「やり取り」の指導が目指すべきものについてのヒントがここにある(といいな)と思っている。ただ、実際の観察に基づいているとは言え、「あらゆる教室談話が目標に向かうもの」(p. 20)というまとめにはやや異論というか思うところがあって(現状は実際そうかもしれないが)、goal-orientedじゃない(が学びをもたらす)インタラクションこそが英語の授業に欠けているのでは?ということと、goal-orientedな教室談話とnon goal-orientedな教室談話の上手な行き来こそが追究すべき課題ではないかということを考える。

次回も楽しみだ。

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