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新聞は比べて読むに限る。くだらない授業を聞くぐらいなら関連する文献を5冊読んだ方がいいと立花隆がどこかで書いていて,全く同感なのだが, むしろ私は「くだらない」と言われないようにガンバる方だし,そもそも多くの学生にとっては「関連する文献を5冊」見つけて読了すること事がなかなか容易ではない。いわゆるシントピカル読書というやつだが(アドラー&ドーレン 1997),これが端的に威力を発揮するのは新聞だ。

官庁の発表をそのまま載せるだけで,夜のニュースもそのままを喋ってたりして,朝から晩まで同じニュースかよ!なんて日もないではないが,だいたいは同じ事に関する記事であっても切り取り方や色合いが違う。だから面白く,より深く考える手がかりになる。

今日の朝刊一面は,毎日が武富士の話で,朝日は尖閣諸島沖で漁船衝突事故が起きてからの政府の対応(二面にまで続くロング)ドキュメント。下段も同問題関連の記事で,それ一色という感じだった。毎日と比べると朝日が往々にして語気が荒いのは承知の話だが,今朝は朝日のパッションに軍配。毎日は前日にこの問題に関する各紙社説等の比較検証記事があって,識者の見解を載せるだけで済まさない真摯さと,(特にメディアの)ある種の危うさに対する感受性に拍手を送ったのだが,今朝の朝日の記事は一気に読ませる力があり,多少割り引いて受け取るとしても,無謀に突っ走った桂馬がどれで,どうして飛車角が引き返せない場所まで進んでしまったのかといった構図が見えた。

ちなみに,上掲のアドラー&ドーレン(1997)はめちゃんこ良い本(原著初版は1940。1972改訂版に基づく翻訳初版は1978)。単にたくさん読めばいいと考えている輩には次の一節。

世の中には「拾い読み」にも値しない本が多いし,さっさと読み通す方がよい本もかなりある。ゆっくりとていねいに読んで,完全に理解しなくてはならない本はごく少数しかない。速読の方が向いている本に時間をかけるのは無駄というものだ。しかし,問題はそれからである。難解だが,努力してでも読むに値する本を読もうとするとき,読者はいろいろの障害にぶつかる。読者のなかには知識に欠けていたり,読書法の規則を心得ていない者が多い。読書という仕事のために自分の知的能力を活用する方法を知らない。たとえどんなに速く読めても,読書が自分に与えてくれるものや,自分が読書に求めているものがわからなくては,本から何も得ることはできない。したがって,理想はただ速く読めるようになるだけでなく,さまざまな速度の読みかたができること,また場合に応じて違った速度でよめることである(アドラー&ドーレン 1997: 48)。

もう一節,どうも本を読むのが苦手だとか重荷だと思っている輩に。

良い本を読みながら眠ってしまうような人は,読む努力をしようという気がないのではなく,努力のしかたを知らないのだ。良い本は読者にとって難解である。むずかしいくらいの本でなくては,読者にとって良い本とは言えない。そういう本に向かって読者は背伸びをし,自分をそこまで引き上げなくてはならない。そうしないことには,難しい本は退屈なばかりだ。読者がくたびれてしまうのは,背伸びをしているからではなく,うまく背伸びできないことからくる欲求不満のせいなのだ。それはうまく背伸びする技術をもたないからである。積極的な読書をつづけるには意志の力だけではだめだ。ちょっと見ただけではとても歯がたたないと思われるものにも手をのばし,自分を引き上げることのできる技術を身につけることが要求されるのである(アドラー&ドーレン 1997: 56)。

ロクでもないhow-to新書を読んでる時間とお金があったら,まず,こういう名著をじっくり咀嚼することをオススメする。

池上彰さんは「週刊子どもニュース」以来,その語り口やプロとしての姿勢も含めて好きな人なので最近の活躍は悪い気はしないのだが,「歴代総理大臣の名前を順に当てていく」といった程度の低い内容に持ち出す人じゃないし,いくらなんでも4時間半は頼り過ぎでしょ。