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文章構成やプレゼンのトレーニングも兼ねて,ゼミで毎回,お気に入りの本や音楽を紹介してもらうことにしたので,今日はモデルとして私が「ヨイトマケの唄」を紹介。冒頭にしんみりするのもどうかと思ったが,講義セクションのテーマとも絡めて。

「ヨイトマケの唄」について説明が必要な人は,Wikipediaなどを参照。最初に聴いて衝撃を受けたのはやはり当時の丸山(→美輪)明宏によるものだが,今日は槇原敬之によるカヴァー(『Listen to Music 2』東芝EMI, 2005)。

(前略)子供の頃に 小学校で/ヨイトマケの子供 きたない子供と/いじめぬかれて はやされて/くやし涙に くれながら/泣いて帰った 道すがら/母ちゃんの働く とこを見た/母ちゃんの働く とこを見た(中略)慰めてもらおう 抱いてもらおう と/息をはずませ 帰ってはきたが/母ちゃんの姿 見たときに/泣いた涙も 忘れはて/帰って行ったよ 学校へ/勉強するよと 云いながら/勉強するよと 云いながら あれから何年 たった事だろ/高校も出たし 大学も出た/今じゃ機械の 世の中で/おまけに僕は エンジニア/苦労苦労で 死んでった/母ちゃん見てくれ この姿/母ちゃん見てくれ この姿(後略)

全部載せるのはアレなので抜粋にとどめたが,言うまでもなく全体を鑑賞すべきものであることを断っておく。抜粋だけで感じ取ってもらえるかどうかは分からないが,この曲には,当時の学校の存在感というか,学校に対する母子の「淡い期待」,「よるべ性」とでもいったものが凝縮されて表現されている(曲全体においてこのシーン自体が回顧であるように,丸山本人の原体験はもう少し時代を遡るとしても)。前半に見られるように,この回顧の中で,子どもが学校で受ける扱いは,母親が社会で受けていたであろう扱いと同様,辛辣で残酷なものだ。学校と,そこを中心とする子どもの社会にはそういう側面があったし,今だってある。だが同時に彼は,母親が自分のために働く姿を見て「学校へ通う目的」を直感的に自覚し,辛い寂しいといった感情を超えた次元で「学校に通わせ(ることも含めてここまで自分を育て)てくれた」母親に深い畏敬と感謝の念を得る。この時代に高校・大学まで行かせる(ために苦労する)ことが母子にとって最良の選択だったかどうかはともかく(そもそも選択の余地などなかったのかもしれないが),当時の人たちにとって学校がどういう存在であったか,また, その延長線上で現代のわれわれにとって学校がどういう存在であるかを考察する手がかりになる一曲だと思う。

ここ数年は英語の授業で洋楽かけるのが主になっているが,考えてみると「授業中に曲を紹介する」というのは教育学系の授業が先で,大学時代のA先生の授業の影響によるものだ。先生に倣って,尾崎の「卒業」とか高石友也「受験生ブルース」もどこかのタイミングで鑑賞してもらうつもり。

MAROON 5の新譜『HANDS ALL OVER』 ,最初は前二作と比べるとサウンド的にはちょっと…と思ったのですが,聴き込んでみるとだいぶ味がしみ出てきました。歌詞は相変わらず良いし。でも前作の方が好きかな。さてLINKIN PARKの新譜も聴き込まなきゃ。