[みんなで英語教育][旧記事] 第1回「私の英語学習歴」

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「英語教育ブログみんなで書けば怖くない!」企画に参加ということでわっしょい。

振り返って考えるに、私の英語学習の内容・方法は、

  • 公理1:モテようとすること、カッコつけること
  • 公理2:好きなものを好きに楽しむこと

という二つの公理から導かれてきたものだと言える。つきつめて言えば、これは今後も変わらないだろう。

もう少し具体的に、私の英語の知識・技能の形成にとって特に重要だったと思う指針を挙げるとすれば、ゼミでの発表や家庭教師・非常勤講師の授業について、公理1から、

  • 指針1:(特に女子の前で)背伸びをする
    • 下位指針1-1:登板を積極的に引き受け、投げ出さない
    • 下位指針1-2:全力以上の登板準備と投球パフォーマンスをしようとする

が導かれる。それが本当にカッコいいのか、それでモテたのかはともかくとして。

また、公理2から、

  • 指針2:英語にまつわるアレコレが楽しみの一部になるようにする
    • 下位指針2-1:時間を有効に活用して読んだり聴いたりする
    • 下位指針2-2:好きな洋画・洋楽その他の英語文化を好きに楽しむ

が導かれる。私は生き急いでいるタチなので、公理の「好きに」という部分は自ずと下位指針2-1のように解釈される。

各指針は、英語学習につながる行動として以下のように具体化されてきた。大半は大学入学以降の話だが。

  • 行動1ー1
    • a:同級生に還元するという名目で学習成果をアウトプットし、まとめる。
    • b:教育学、外国語教育学・SLA研究、英語学・言語学の英語文献を読み、ゼミや研究会で発表してたたかれる。
    • c:積極的にその機会を得ようとすることで、行動1-1bを中心とした研究活動をサイクル化し、頻度を増やす。
  • 行動1ー2
    • a:とにかく訳す、とにかく聴き込むなど、公理1・2に反しない限り泥臭く取り組む。英和も英英も辞書を引き倒す。
    • b:今の自分にできるかできないかよりも、教材・活動が最大限に面白みを発揮するように授業を構想する。自分がそれに合わせて背伸びする。
  • 行動2ー1
    • a:通学の自転車や交通機関などで、公理1に合致し、公理2に反しない程度に、読んだり聴いたりのインプットを積み重ねる。
    • b:触れる英語は全て教材のタネとみなし、常にスベらない授業展開・活動のアイデアを探る。
  • 行動2ー2
    • a:劇場であれDVDであれ週に1本以上は映画をみる。
    • b:選り好みせず洋楽を聴き漁る。ただし、歌詞を必ず味わう。
    • c:(主に風呂場で)歌う。ときどきマイケルになってみる。

書く・話すに関しては、上の指針にしたがって、通訳ぽいのとかそういう役割をかってでてみたり、旅行したり留学生の友だちと語らったりしてきた。ただし、公理に反するので、「英語をベンキョーするために!」という意図・意識で行動した事はない。

要するに、一般的な学習スタイルとは言えないが、特別な事をしてきたというわけでもない。他人と比べることでもないと思うので絶対的学習量の多い少ないは分からないが、どの技能をとっても十分だと感じたことは一度もない。いつも長いプラトーの期間があって、時折ふあっと伸びた気がする程度。でも、公理に反しない限り苦ではない。

なぜこんな書き方をしたかというと、そもそも(「英語学習」という視点で考えると)他の方のように懐かしむに値する過去自体が乏しいということがある。ただ最近、「英語が苦手で嫌いだった」などと言ってもあまり信じてもらえないので、以下、中学生から大学学部生までの間で思い出せる間抜けエピソードをいくつか書き連ねてみる。Implicitに何らかの効果があったことは否定しないが、本当に身になった英語学習は大学院に入ってからだというのが自己分析。

 

【中学校】

文字はきったなく綴れたが、あてられそうな部分を予習したとしても、地名や建物の名前まで無理矢理日本語に訳そうとして支離滅裂な訳文を発表するような「迷子」状態がずいぶん長いこと続いた。一方で、XやB’z、WANDSの唄う英語詞を、なんて言っているかも分かっていないのに、音だけで真似ていた。

英語とは無関係に環境も自分自身もすさんでいたせいもあるが、英語教員のボブ・ディラン弾き語りは残念なことに全く心に響かなかった(”Blowin’ in the Wind”がボブ・ディランの曲だということを知ったのもずいぶん後。彼やこの曲にまつわるエトセトラの話は一切なかった。もったいないことするなあ)。あとあと考えればリズムその他を身につけさせようとしてくれていたのだろうが、「オレ、上手にギター弾けてるだろ」、「とにかく歌ってトゥギャザーしようぜ」という進め方が好きではなかった。

英語罫線のノートは持っていたが、ロクに書いてなかった。教科書ガイドがクラス中に飛び交っていたので、和訳はそれを借りて対応していた。大切なことは何も分かっていないまま、大学生のイトコに付け焼刃を突貫工事してもらって高校入試は乗り切った。

【高校】

英語学習との関連は全く意識していなかったが、洋楽を本格的に聴き出した。先に好きになったのはJanet Jacksonだが、ちょうどMichaelとの共演作「スクリーム」が出て、Michael Jacksonをこっそり聴き始めた(当時は声高に「マイケルが好きだ!」と言える空気ではなかった)。あとはAlanis Morissetteとかだろうか。映画は友人とジャッキーやアニメを観に行くのがせいぜいだったが、近所に個人経営的な小さいビデオ屋があって、最新作はないんだけど「5本で一週間千円」といった感じだったのを利用して、「ショーン・コネリー先輩、ほぼ全クリ!」とか「今日はアル・パチーノ兄貴づくし」といった具合に映画をだいぶ観た。

高校が、陰に陽に「大学の現役合格者数」を至上の指標とするようなところで、毎日のように何かの小テストがあった。英語もその内の一つで、すっかり嫌いになっていたところに、「受験のために講習等でいやいや学ぶもの」という目的の形骸化工事が完了してしまった。出会った何人かの英語教員もそれが嫌だったのか好きで加担していたのかは分からないが、彼らの投げやり感も影響して、授業を楽しいと思ったことは一度もなかった。

塾に通ったことはないのだが、通塾者からだったか口コミで「 『速読英単語:必修編』がいいらしい」というのが伝わってきて、2、3年生の時はそれをバスで読んで(るフリをして、好きな女子にアピって)いた。入門編とか上級編とかが当時あったか忘れたが、いずれにせよそんなものを買うお金があればマンガやCDにつぎ込んでいたので、その一冊を4周、5周とまわし続けた。

辞書も、入学時にGeniusを買わされたのだが、「全ページくしゃくしゃになっているとなんかカッコいい」という間抜けな流行り*にのっかって、ろくに読みもせずに全ページくしゃくしゃにする作業に長いこと従事した。しかし、3周くらいくしゃくしゃやる内に何かしら効果があったような錯覚は持てた(辞書は後にちぎれて大破)。

* やり始めた優等生の真意はおそらく、調べたページをマーキングしていくことで学習履歴的なものを蓄積・可視化していくということだったが、われわれマヌケの手にかかり因果関係はすぐに逆さまにされた。

3年の時に、模試のオマケでついてきた「札幌の有名予備校の授業一日体験」みたいなのに参加したら、国数英いずれも物凄く腑に落ちた覚えがある。「なんだ、そういうことなら早く言ってくれればよかったのに」というような。英語に関しては特に、受験英語については、ということだが。とは言え、センターはやらかして前期の文学部に落ち、後期で教育学部に拾ってもらったので、ほとんど何も活かされなかったのだが。

【大学学部】

学部時代は、不遜にも家庭教師をするようになって、実況中継シリーズ(瀬下英語入門とか山口英文法とか、たぶん)で勉強・準備をした(高校の頃、日本史でこれに世話になっていたことによる)。その質はともかくとして、教えてお金をいただくようになると一生懸命になるものだ。当時、パソコンを手に入れた嬉しさもあってか、その実況中継シリーズを、自分が説明しやすいと思うように全て再編集して授業のプリントを作った。要するに、お金をもらいながら、私が一番勉強させてもらっていたというわけ。

1年後期か2年前期だったと思うが、元海外特派員みたいな先生のリーディングの授業にあたり、毎週NewsweekやらTIMEやらの記事を配るので、クラスのみんななかなか参っていた。こちらも当時のパソコン入手の嬉しさか、遊び半分で、面白かった記事をレイアウトそのままに和訳版を作成してノートとしていた。欠席した回のあったカワゆい女子にたまたまそれを見せた時に、数名から「スゴい」と評価を受け、「こりゃモテるかも?」と脳内の報酬系から命令が下った。結果としてたいしてモテはしなかったが、テスト前には半期のプリント全てについて当時の全力で気張った和訳冊子ができあがった。

それ以降、大学院に進むまではイタリア語に傾注していたので、2年で必修科目が修了して以降それらしい勉強はしていない。学部の原書講読(比較教育学)の授業に出て、「ロンドン」と発音して元BBC記者の先生にちょくちょく注意されてたのを覚えている。あとは、英語学習が直接の目的ではないが、4年の時に院ゼミに参加するようになって、Lyonsの Semantics (1977, Cambridge Univ.)を読んだ。当時、日本語教育の(いや、言語学的概念整理は必要としてるんだけど、英語キッツいわーという)人が多かったので、We’re counting on you!みたいな空気があり、大いに鍛えられた。専門を外国語としての英語教育とすることも決めたので、4年目は英語の教職科目もいくつか履修した。ハナから英語の免許を取る気はないのに英語科教育法を履修したのは私ぐらいだろう(N堀先生が担当されていて面白かった)。

授業外では、院生の先輩が NewsweekとTIMEの共同購入(年間購読(学割)費用を数人で負担し、2日毎にまわし読みする。一号辺り数十円で読める)企画を持ちかけてくれて、今に至る英語雑誌流し読み習慣ができた。呼びかけのビラか何かで先輩が「電車なんかでTIMEを読む姿を周囲に見せつけられる」ことを動機・効用の一つに正直に挙げていて感心した。さらに、交換留学的なプログラムで教育学部の授業を受けに来ていたイギリス人、アメリカ人と仲良くなり、寮の部屋に遊びに行ったり、実家の夕食に招待したりしたのは色々と影響が大きかったと言える。教員以外の英語話者とまともに意思疎通し、たどたどしいやりとりながらも伝えたいと感じたことを伝え談笑したのは、実質的にはこれが初めてだったのだから。その時日本未発売のIncognitoのアルバムMDをもらったりしたのも良い思ひ出。ただ、JazzだのClassicだのにジャンルが広がって、洋楽は意外と広がらなかったかもしれない。映画はデートも兼ねて4年間で200本以上は観た。

 

ここから大学で英語を教えるようになるまではだいぶ飛躍があるが、まあ、今回はこの程度で。お読みいただいた方には感謝。小ネタに笑っていてくれれば幸い。長々と失礼しました。

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