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2014年の流行を一周遅れでという感じではあるが、担当している「英語学習法Ⅰ」(一年次前期)の授業の一環として、ゼミの学生やTAの協力も得て、We Are Happy Fromの動画を作り公開した。まずはご覧ください。

流行時、大学・学部・学科単位で作られた動画は複数確認したが、授業の一環で作ったのは私ぐらいのものだろう。英語教育専修と授業の雰囲気が伝われば幸いだ。その手順と意図の話。

手順は以下の通り。

(1) Happy (Pharrell Williams)を紹介する。この授業の定番の取り組みとして、Warm-up Listeningとして 歌詞を聞き取ったり作文したり歌ったりというのはそれまでに22曲やっているので、歌詞が記載されたハンドアウトは配るものの、下のOfficial Music Videoを視聴し、まずは曲を聴き感じるよう伝える。

(2) 歌詞の意味を確認する。ハンドアウトはサビの部分のみ対訳が抜けているので、「だってハッピーだから ほら一緒に手を叩いて…なら」の…の部分を考えてもらう。ペア・グループでシェアし、誰の訳が曲の雰囲気を捉えているか考える。行ごとに指名して対訳案を出してもらい、こちらが用意したものと対比しながら全体でシェア。

(3) メッセージを考える。ハンドアウトの裏面に”Because I’m happy/Learn and use English/if”と印刷されている。”Complete the sentence in your own voice”と指示を出し、これまでの学んだことや経験を踏まえて英文を完成させてもらう。

(4) 少し考えあぐねているところで、動画例をいくつか見せて、We Are Happy Fromの取り組みを紹介する。今回は、前の週に先輩に留学体験を話してもらったので、その留学先のカナダ、チェコ、アメリカと静岡のWe Are Happy From作品を飛ばしつつ視聴。

(4) 動画作成を依頼する。グループごとにサビの部分約24〜25秒分の動画を撮影し、翌週の授業前日18時までに提出するよう依頼。キャンパス内の好きなところ(複数可)で踊りも自由。メッセージを完成させ、映像中のどこかで提示することが条件。

という具合。Bridgeの部分はその場で撮影し、サビ以外の部分をゼミの日にゼミ生に協力依頼して撮影。iMovieでフレームを作っておき、前日夕方に出揃った動画をはめ込んで微調整して書き出して今日の授業(最終回)で完成披露試写会。そして公開という流れ。閉じたところでの共有でもいいのだが、せっかく作るのだからWe Are Happy FromとしてYouTubeに公開しよう、ということで。

今年、これに取り組んだ理由は3つある。

今年はWarm-up Listening担当が13週目で全員完了したために実現したという側面もあるのだが、これまでの4年間は最後の1、2週はCarpentersかOne Directionを歌ってきた。2週目にStand By Meを使ってデモンストレーションとして一通りの使い方は見せ歌いもするのだが、例年は10分という持ち時間の制約もあって歌う活動を入れる「先生」は多くない。附属中学校で洋楽を授業冒頭に用いていることもあり、「みんなはやらなかったけどこんな使い方もあるよ」を示すのが目的だ。ところが、今年は序盤から衒いなく、むしろ積極的に歌う活動を中心とする者が複数いた。もはやそのモデルは要らないと判断したのが一つ。要するにメンバーの妙。

もう一つは、世代的なもの。私が生徒・学生の頃に創作ダンスという概念はほぼなかったし、ダンス甲子園は一部の特殊技能者の営みで、結婚式の余興でもなければパラパラの真似ごとでさえ照れが伴った。そういう私の世代感覚が、授業づくり、教材づくりをある面で縛っているのでは?とここ数年考えていた。彼らは違う。小さい頃からダンスもボイパも比較的近いところにあり、アイドルや芸人の踊りをコピーし、画像や動画で表現する他人を見ることや自分を表現することに慣れている。全員が全員ではないにしても、「踊って」、「動画作ってみて」と言われた時に感じるハードルはわれわれほど高くはなく、ひょっとすると表現手段の日常的レパートリーの一つかもしれないのだ。そこに賭けてみた。要するに私なりの挑戦。

もう一つ、最も大きな理由として、「大学は楽しもうと思ったらいくらでも楽しくなるし、自分たちで楽しくするもんだ」と伝えたかったということがある。学部時代にいろんな学部の授業に顔を出し224単位を取った私だから、彼らの語る他の授業への不満はよく分かる。しかしだからこそ、余程の事情がない限り、「授業がつまらない」、「退屈だ」という文句は認めない。つまらなかったら自分たちの手で面白くすればいいのだ。この授業全体のモチーフがそういうことで、毎回そういう性格の課題に取り組んでもらってきたのだが、授業はただ与えられるものではなく、教員と学生で一緒になって作るもの、自分たちこそがその担い手なのだという感覚を持ってほしい。今期の授業がそれに成功したかどうかの評価はまた別として。

もちろん「はい、その通りですね」と退屈な授業を反省・改善してくれる教員ばかりなら苦労はないわけで、本気を出すと、教員や大学側と揉めたり闘ったりしなければならないかもしれない。かくいう私も、正面からぶつかるよりは、好きに内職をして時間を有意義に使うという解決を選択することが多かった。そうだとしても「授業の成否に大きな影響を与えるのは自分(の行動次第)だ」という考えが大学生活にもたらす違いは(仮に大二病的な趣が強かったとしても)大きいと私は思う。

もうちょっと平たくしておくと、世の中的にも気持ちの暗くなる話題が多く、なにかhappyな気分になることがしたかったと言っても差し支えはない。教員養成課程という場所柄で言えば、教職を取り巻く状況に幸福感が薄いとしても、それを考えどうにかするのはわれわれの仕事であって、そのイメージが不必要に増幅して学生が教職に希望を持てなくなるのでは意味がない。それは教職の置かれた状況を現実として直視するのとは全然別のことだ。ここにいる限り、「教師になったら私もこんなことがしたい」と学生・院生が思えるような実践を私は彼らと積み重ねていきたい。