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授業後010とは別の附属中学校の教育研究発表会の記録。ここは全体の枠組みを見事に昇華していると思う(研究部の先生がたには頭が下がる)ものの、抽象的に議論しがちなのが玉に瑕。むしろ各教科の具体・実際の授業にそれを語らしめることが肝要で、授業者の先生が欲しかったのも本時のあらわれから見えるそれだろう。ということで、私が観察・コメントする授業についていつも通りのことではあるが、そういう気持ちを余分に込めて、生徒の具体的なパフォーマンスを通じて共同研究者としてコメントをした。

英語科は“My English”の一環として3年生が市在住外国人の出身国について紹介文を書く授業。授業者の先生は附属一年目でさぞ緊張したろうと思うが、生徒たちは先生のスピード感のある英語に集中して耳を澄ましており、短い期間でクラスを作ってきた先生の力量が窺えた。

まずは人数で上位5か国を予想。スムーズに挙がってすぐに次に移ったが、英語や日本語,諸外国語について考える上で、この街に占める外国籍人口とはどういう割合であるのか、それらの国で話されている使用言語はどういうものかに目を向けられると良かった。これは協議会では触れなかったこと。

協議会で指摘した、われわれが引き取って考えたい課題は大きく2つある。

(1)今回の活動で生徒が書いた英語に対して、どういうフィードバックをどういう形で行うべきか

フィリピンの紹介が当たったグループを特に注意して見ていた。Lechonと呼ばれる「豚の丸焼き」が配布された資料にあり、このグループは「丸焼き」をどう表現するかにこだわり、3年生のこの時期と言えばの関係代名詞を用いて、態にも意識を向けて“Lechon is the dish that (is) baked all of the body parts”という文を作った(カッコはisを入れた生徒もいれば入れていない生徒もいたということ)。ここには(a)語彙、(b)文法、(c)談話の各レベルで、この時期の3年生が教えてくれる学習過程の面白さ・難しさがつまっている、と私は思う。まず(a)について言えば、例えば「丸焼き」を表現するのにbakeはピッタリの意味の動詞ではない。私はgrilled porkかな?と思っていたが、ALTによれば、この場合roastかbarbecueが相応しいとのこと(料理をしないのでこの辺の感覚が私は乏しい)。この類の語彙選択についてのアドバイスはいつ、どういう形ですべきか。(b)について、「丸焼きにされた料理」をthe dish that is bakedとしたくなるのは関係代名詞あるあるであり、同時に項構造としてはall of the body parts are bakedなのだが、(そもそも炙りのような「一部焼き」のほうが焼き方としては特殊なのだから)どちらかと言えば冗長なall of the body partsまで加えて「丸」を表現したくなる生真面目さもあはれなり。関係代名詞節の冠詞もそうだが、この概念的・文法的混乱をすぐに解きほぐすべきか、しばらく待つべきか。

本時の活動のポイントは、独力で紹介文をこしらえてみて(緑付箋)、その後、教科書の文やグループメンバーとの話し合いを参考にして文(章)を書き加え改良する(黄付箋)というプロセスにあった。(c)について、教科書のレッスン(New Crown Lesson 5)でも最後に先生が示したコラムのモデル文でも、紹介の始まりはThis is a picture/book/film/photo …となっていたのだが、生徒たちの多くが書いた文はそうではなかった。帯活動の(寿司や北海道を紹介する)文章を見ていて、紹介文をどう構成するかというディスコースの型を暗示的に与えているのだろうと思っていたが、今日の実態が物語っているのは、生徒の意識がそこに向くのは容易ではないということだ。生徒が自ら気づけることであればその必要はないが、そうではないとすれば、明示的に伝えるなりグループ・全体で共有するなり、時間を区切ってそういう視点・観点を置くプロセスを用意してあげられるとよかったのではないか。活動に入る前に先生が示したmake it simpleという要求はその一つであるが、そのwarrantには「誰に向けた、どういう紹介なのか」が含まれており、それが明確にされていれば(c)の側面にもう少し意識が向いたかもしれないと思う。尤も、このライティングの「甲斐」が発揮されるのは、改訂して、自分たちが書いたものを他のグループの人に紹介したり読んでもらったりする次の時間以降だ。

(2)資料を通じて生徒に提供された情報の与え方が適切だったか

Lechonの下に「かき氷の上に果物やアイスクリームなどを乗せたデザート」としてHalohaloが紹介されていた。同じグループの生徒が緑付箋で“fruits and ice cream and so on on top of the shaved ice”と書いていたのだが、近くにいた私に「and so onにon top ofが続いて何か違和感がある、これで良いか」と訊いた。彼がこの違和感を持ってくれていたことが素晴らしいが、なぜand so onを置いたかを言えば、資料にあった「など」を忠実に訳そうとしたからだろう(さらに言えば、New Crownでは、3年生のLesson 2のUSE Readで“Many French bookstores sell DRAGON BALL, Naruto, and so on.”という一文とともにand so onが導入されるので、それをしっかり活用してくれたわけだ。偉い。偉すぎる)。つまり、配布資料が和文英訳を誘導してしまった可能性があるのだ。活動に入る前に先生がもう一つ示したdo not focus on the pictures too muchというポイントは、写真や説明にこだわらず自らの興味・関心で視点を加えてよいということであったのだと思うが、そうだとすれば、いっそ写真のみで注釈はつけずに想像してもらうか、(今日の状況を見るに、5つの国について何か具体的に紹介したい情報を持っている生徒はいなかったので)日本語でガイドブックやWebサイトの紹介ページを読んで、自分が面白い、シェアしたいと思った情報をピックアップして紹介文を書くほうがよかったのかもしれない。

緑付箋の数が一番少なかった生徒が黄付箋で書いた英文を見ると、民族衣装に対して“We call it terno or barong tagalog.”やLechonに対して“We need to bring it for festival.”と、ディティールに当たる英文を教科書やグループメンバーから借りて書き加えていたことがわかる。先生が推奨した英借文は、どう表現するかのレベル(aおよびb)のモデルの役割も、どう構成するかのレベル(c)の役割も担い得る。この生徒にとっては前者の意味が大きかったとしても、(c)にどの程度意識が向いていたのかじっくり考察したいところだ(彼女は民族衣装の紹介を“This is Phippines’ country clothes”と緑付箋で始めていた)。授業者の先生の意図と合致しているかどうかはともかく、今日3年生が見せてくれた緑付箋と黄付箋のあらわれは、「習得」と「活用」のダイナミズムについて非常に多くのことを教えてくれているように思われた。