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ご恵投いただいてから1年以上遅れての紹介となってしまったが、

は、英語教育界隈にこそ読まれるべき一冊である。

いただいてすぐ拝読したものの、ろくに記事を書く余裕もなく今日に至ったのだが、この間、大修館書店『英語教育』誌のBookshelfのコーナーなどで本書が取り上げられることはなかったようだ(増刊号に柳瀬先生の10冊があれば取り上げられていただろうと思うのだが)。SNS等で英語教育関係の人たちが本書を話題にするのもほとんど全く目にしていない。それは、今の日本の英語教育に本書のような視点が抜け落ちていることを物語っている。そしてその視点こそが、改訂学習指導要領が順次全面実施となり様々なことが大きく変わろうとする中で(良い方向の変化あるとすれば)「仏作って魂入れず」にならないために、学校英語教育が最も省みるべきことのように私には思われる。だからこそ、本書をここで紹介する次第である。

本書は、人類学的・社会学的立場、つまり「言語、文化、学習といった言語・コミュニケーション研究に重要な概念を言語・コミュニケーションをとりまく環境、つまり付随的な一要因として捉えるのではなく、社会的な文脈、埋め込まれた状況から切り離さずに取り扱う立場」(p. 4)から、このアプローチの理論的意義をまとめ、具体的な研究を示し、言語コミュニケーション教育の実践を示したアンソロジーである。概観は編者による第1章で得られる。

正直なところ、私の知っている範囲の英語教育関係者に本書の内容がどの程度響くかはわからない。全ての章が当たりというわけでもない(複言語主義の理解が怪しい第5章などは???と思う)。しかし、例えば第3章で報告されているオーストラリアにおける日本語学習のケースなどは、必修科目としての「英語」について、あるいは大学での第二外国語の扱いについて考える際に示唆に富むだろう。それは、「外国語教科が必修でなくなった時、大多数の生徒が日本語学習をやめる。日本語学習を続けるか否かは、単なる学習者の好みや希望に基づくのではなく、学習者の家庭背景や、社会的・制度的条件が大きく影響する。生徒の間で日本語がエリート教科と認識されており、自分には無理だろうと考える学業成績の低い生徒が自分から辞めていく。その結果、日本語がますます成績優秀者を中心とする科目になり、さらに日本語が敬遠されていくという循環が繰り返される」(p. 59)というものだ。具体的な社会・制度条件や分析は本書を直接読まれたい。第10章も、香港と英語の関係についてわれわれが持ちがちな単純な見方を否定してくれる。

あるいは、あるワークショップのエスノグラフィーを通じて「コミュニケーションスキルを問う」第6章。英語教育の話ではなく、ソーシャルスキルとしてのコミュニケーションの話ではあるが、代表の方が語る「スキルの前ですよね。スキルの前が弱い。(中略)いますごくスキル偏重になっていますよね。スキルの前の想像力と創造力がすごく置き去りになっているという」(p. 138)という言葉に、今の英語授業に対する懸念を重ねて読んでしまうのは私だけだろうか。さらに第7章では、生徒は本当に授業で「英語」を学んでいるのかということが問われる(さらに詳しくは榎本, 2019を参照)。ここで提示される、全然うまくいっているとは言えない授業展開、あるいはヤンチャな生徒たちの言動は、日本中で少なからず見られるはずなのに英語教育の論考ではほとんど目にすることがない。英語教育が常に「できる」人のものである限り、何も変わらないのではないかと問いかけられているような気がする。

個人的に英語教育関係者に最も広く読まれるべきと感じているのは、第8章から第11章である。留学生と日本人学生による多文化チームでの(日本での)フィールドワーク授業の報告である第8章と第11章を読むと、英語圏の大学や語学学校に連れていくだけの留学体験プログラムは恥ずかしくて顔もあげられない。イングリッシュキャンプよろしく、総花的な英語「体験」ばかりが高中小へとどんどん降りて行きそうな昨今なだけに、第9章の「『参加している、イコール、その場を理解しているということではない』という点を認識させること」を目的に掲げる視点はいっそう重要となるように思われる。同章の「『百聞は一見に如かず』の一見こそが、ステレオタイプを生み出す危険がある」(p. 195)という指摘は、たとえば修学旅行先で外国人観光客をつかまえて英語を話すことを、さしたる疑問も持たずに児童・生徒に課している小中学校の先生がたに噛み締めてほしい。

つまり本書は、英語教育関係者にとっては、明日すぐ使える実践をくれる本でも読んでスッキリするような本でもなく、むしろ(今まで目を背けてきたと言ってもいいかもしれない)重たい課題をいくつも突きつけてくる本だ。だからこそ苦い良薬として、いま読まれるべきだと思う。