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前の記事([雑感076] オンライン・オン・ザ・ライン)の末尾で触れた話。授業のバランスの検討に役立てば幸い。

「オンライン授業」の騒ぎで、同期型(synchronous)という言葉を以前より目にする機会が増えた。e-learning界隈では昔からお馴染みだが、発信と受信が同時に行われる通信、つまりリアルタイムにつながるやり方を同期型と呼び、発信と受信に時間的なズレがある通信を非同期型(asynchronous)と呼ぶわけだ。

SkypeやFacetimeでのコミュニケーションは同期型の典型で、一気に知名度があがったZoomも(様々な機能が付いているので動画通信だけに回収されないが、一応)ここに含まれる。Zoomのミーティング中に行われるような類のチャットも同期型の性格が強い。LINEのやり取りも同じに見えるが、機能上「未読」状態で放置することは許されているので、同期性の程度は下がる。非同期型のコミュニケーションは、書き言葉ではメールや手紙を想起すればイメージしやすいだろう。録音・録画してメッセージを届けるとなれば、SkypeやFacetimeのように相手のリアクションを見て反応を返すことはできない。

同期型と非同期型のメリット・デメリットを今更ここであげる必要はないだろう。ただ、学生の環境や負担の問題を論じるにせよ、授業内容の質や運営の効率性を論じるにせよ、この軸のみで議論をするのは十分ではないと感じている。そこで、フロー(flow)とストック(stock)というもう一つの軸を導入したい。

元は経済学の用語だが、ここでは、授業の一定の時間内に現れ学習者に利用可能な形では残らない情報をフロー、(登場後は)授業の中でいつでも学習者が利用できる情報をストックと呼ぶことにする。

これは、スライドを使う小中高の先生の授業に指導主事がよくするコメントへのサポートとして導入した概念だが、スライドは典型的なフロー情報である。メリットは、視聴覚的な情報を提示するプロセスを授業者の都合に合わせてコントロールしやすい(+板書の時間が省ける)ことであるが、過ぎ去ってしまったスライドを学習者が自由に参照できないというデメリットがある。学会発表の「ご清聴ありがとうございました」スライドは無駄問題もこれに関連している(質疑応答中はもっと意味のあるストック情報を提示しておいた方が議論に資する)。英語の授業の場合、音声を流すことが多いが、これも、それ自体が理解すべきメッセージや学習する内容を含んだフロー情報だと言える。

教室の掲示は典型的なストック情報である。外国語活動が始まって、日本中の小学校で、英語の単語や表現が様々に教室や階段、廊下などに掲示されるようになった。習字の掲示のように、イベントごとの作品展示の意味合いが強い掲示もあるが*1、特に教室内に貼られたあいさつやリアクションの表現、場面別の表現集などは、授業の活動中に必要になったらいつでも参照できるようストック情報として配置されている*2。

「黒板」と「チョーク」が長く授業の代名詞とされているのは、フローとしてもストックとしても使えるからだろう。つまり、例えば数式の展開や図解、もっと端的には書き順などにおいてプロセスを示すことができる一方で、板書したものは消すまではストックとして活用することができる。だからこそ、その授業の指導過程に対応して、消さない部分と消して上書きして行く部分を計画的に練った「板書計画」の重要性が教師に共有されてきたわけである。

2つの軸を重ね、授業で用い得る様々なツールを重ねてみると、下図のようになる(これに限られるわけではない念為)。元々は研修で英語授業でのICT活用の可能性や課題を考えるための整理だったのだが、この枠組みで様々な授業を観ている内に、良い授業(と思う部分が少なくとも私にとって多い授業)は、この4つの象限のバランスが良いことに気づいた。正確に言えば、それぞれの目的で、適切なツールが選ばれ、授業の中にねらいを持って配置されているということだ。

例えば、こちら([授業後015] 小規模校の授業観察で感じたこと)で報告した授業では、クラスサイズの小ささや英語話者との交流の少なさという課題を解決するために、生徒たちは、事前に準備した近隣で働く外国出身者のメッセージ動画をくり返し視聴し(非同期型フロー)、その補助として彼らについての写真や基本情報が掲示されており(同期型ストック)、聞き取った情報をメモするために、また他のペアに紹介する際の英語表現を確認するためにワークシートを参照することができた(非同期型ストック)。そしてペア同士のやりとりは当然、同期型フローとして。

こちら([授業後013] We can! be better.)で報告した授業では、同様にALTからのメッセージ動画を提示し、掲示やワークシートを活用しただけでなく、その場でポケモンカードのあり方の場所を予想し、教室全体にそれを示すために書画カメラが活用され(同期型フロー)、グループごとに動画を撮影してALTに届ける産出活動まで行われた(非同期型ストック)。この授業の仕掛けはもう一段深いところまで巧妙に仕掛けられていたが今は措く。

翻って大学を中心とする「オンライン授業」狂想曲を観察していると、「同期型フローなんて無理に決まっている!非同期型ストックで課題を出しておくしかない」、「非同期型ストックの課題を課すだけでは退屈してしまう。同期型フローで顔を突き合わせねば」、「同期型フローで集中力を維持するには」、「非同期型フローで寝ないようにするには」云々と、偏った象限だけで授業を語っている印象を受ける。それじゃダメだろう。

以下、少しばかり立ち入った議論をしておくが、実務的にはここまでの議論で各自の授業を見直してもらえればこの記事は十分に用を果たしたと言える。

対面型と同じことをしようと固執したり、出来もしない飛び道具感に飛びつくのではなくて、この二軸が授業において、学習者にとってどういう意味を持っているかを考えて欲しい。同期性とはつまるところツールが要求する時間的拘束であるが、授業の側から見れば学習者に求められるengagementの制約を意味している。フロー/ストックの軸は、学習者が授業で参照できる知的資源の制約だ。そして実はこれは、何の準備(≒ストック)もなしに「即興」のやり取りなんかできっかい問題や、板書された今日のめあてアレ何だったの問題とつながっている。求められるengagementの質によって、学習者にとって助けとなったり歯応えを生んだりするフローやストックも当然異なるわけだ。

もう一点、

に「概念の時間化」という考え方が示されている(第2章第3節)。上述の、偏った象限でしか授業を見ていなかった教員はせめてここだけは読むといい。個人的には本書で提案されている「コマシラバス」以上に、教員一人ひとりにとっては、この「概念の時間化」という考え方こそが理解され実践されて欲しい。ある教育内容(ないしは概念)を学習者の経験と思考の俎上に乗せるために、授業時間の中で上の4象限をどのように組み合わせどのように配置するかというのが、私が理解する「概念の時間化」に他ならない。

この記事の枠組みに重ねて言えば、コマシラバスを非同期的に書く過程は、(著者の述べる通り)教科書とは異なり具体的な学生の顔を思い浮かべて、フロー的な展開を含んだストックを整える作業だと言えるが、学習者の思考過程を想定した編集行為ではあっても、実際の授業の指導過程や学習者の学習・認識過程そのものではない。著者の意図は、ストックとしてのコマシラバスを書けるだけの知識が授業者に備わっていることが担当資格として何より重要で、毎回の授業に対してそれなりのストックを蓄積することもなしにフローも何もないということであろうし、それは概ねその通りだが、理論系・実験系、語学や実習等々、授業の内容に応じて、同期性を様々に組み合わせた実際の授業の展開は様々にあり得るだろうし、「概念の時間化」の手段はコマシラバスに限られず探究されて良いしされるべきだと思う(個人的にはコマシラバス[の徹底]は、現状の大学に対する実効性のあるカリキュラム・マネジメント、ないしはFDの意味合いが強い)。教育内容と指導過程の構成を一体のものとしてホリスティックに行おうとすればコマシラバスにたどり着くというのも一つの見識ではあるが。

*1 余談だが、小学校で「税の役割」という習字の上に、ハロウィーンのTrick or treat!のメッセージ作品が重ねて貼ってあって、そのエモさに感じ入ったことがある。

*2 「最後にクイズ〜!」と言って、答えとなる表現そのものが壁に貼られたままだったケースも何回か目にしているが…、まあ平和で良い。