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先日、研修会で静岡県内の中学校を訪ねた際の記録。あるいは授業中の生徒の言語使用から見えてくるものについて。

授業は1年生6人と。その4倍以上の大人に見守られながらの授業では萎縮しないほうが不思議というものだが、近隣で働く外国出身者が各ペアに宛てたメッセージ動画をタブレットで観て、情報を整理し、他のペアに紹介するという入念に準備された授業は、誠実さがよく伝わる授業者の先生の熱意に子どもたちも応え、比較的順調に進んだ。

最も特筆すべきは、動画の4人のうち3人はインド(から来たタミル語を母語とする方々で、日本語話者にとって決して聞き取りやすくはない英語を話す人たちだったということだ。彼らが好きだという「クリケット」が何なのかもピンと来ていない生徒たちには、聴こえた音をそのまま書いてはいたものの、タミル・ナードゥという州の名前もチェンナイという都市の名前も全く未知の領域のはずだが(参観者のほとんどにとってもそうだろう)、1回目で2箇所しか聞き取れなかったよ!と嘆いている。いやいや、君らが今聴いているのは周りの大人にとっても高難度の動画だ。控えめの言ってもリスニング力は十分以上だぞ。普段の授業での先生やALTとの関わりの濃さを感じさせる。

もう一つ、6人をつぶさに観察できたこともあって、言語(特に三単現の)使用について興味深い姿をたくさん観ることができた。写真の友だちについてヒントを出す冒頭のWho is this?クイズでは、ほぼ全員がShe is …, She is …とおそらくチャンク的な認識でBEは使えるものの、一般動詞となるとShe play tennis/judo. He wear glasses.という状態。それが上記の動画を何度も繰り返し視聴して、紹介の短いリハーサル時間を挟んだ後は、He plays/likes cricket. He has a dog.と、ペアの発話の影響も受けつつ全ての生徒がだんだん-sを付けるようになっていった。それでも同じ生徒が直後にHe listen to Indian music.と言ったり、明確に三単現の意識があるわけではなさそう。その他、質問の際にDoes he works?など。

重要なことは、前時まではともかく、本時において授業者の先生やALTは初めから活動の終わりまで、三単現についてなんらの言及もフィードバックもしていないということだ(ALTとやり取りしたペアには、ALTがフィリピン出身の女性を紹介した際の発話がimplicitなモデルとなっているということはあるけれども)。メッセージをくれた3人を互いに紹介し、質問し合うというタスクを全ペアが完了し、全体で(紹介を聞いていないペアのために)先生とのやり取りでもう一度確認をし、目標は達成。付随して、ある角度から見れば、三単現-sの正確さが話し言葉において授業開始時より向上した、という話。だからと言って、生徒たちが三単現-sを「習得」したとか、彼らの三単現-sに関する言語知識が発達したと言うことなどできない。しかし、なにがしかがダイナミックに動いている様子は垣間見える。一人ひとりのそれが、どれも興味深い。

私が最も興味を持ったのは、授業の最後に、ハンドアウトにまとめの紹介文を書いた際にあらわれた、その話し言葉とのギャップおよびそこからの変容だ。ある生徒のThis is XXX. He from Tamil nadu. He live in YYY. He plays Kuriketo.という記述を見た先生は、その生徒にI AM from Shizuoka. You ARE from …という形でBEに注意を向けるフィードバックを与え、Heとfromの間に何かが必要であることを示唆した。するとその生徒は、3つの文全てに’sを付けたのである。その生徒は活動においてHe fromと言っていたわけでもHe’s live/He’s playsと言っていたわけでもないので、彼らの中で、話している英語と英文の形態・統語構造や書記体系が合致しているわけではないことがよく窺える(内容語の綴りにもそのことが垣間見える)。ところが話はこれで終わりではなく、先生が他の2文の’sに「あっ」というリアクションを見せた少し後、彼はわずかに思案してHe’s from…/ He lives …/He plays …と全て正しい形に自己修正したので驚いた。この生徒の中でいったいどういう心の動きがあったのだろうか。

さらにHe froms India. He plays huttoball. He likes cury.と綴った生徒もいた一方で、He watches movies on TV.とwatchesを正確に綴った生徒もいた。彼女はこの日、途中でペアの相方に助け舟を出すなど、活動のパフォーマンスも非常によかったが、学校の先生に言わせると英語が苦手な子だという。Watchesという形式は今日目に見える範囲にはなかったし、playsやlikesのようには耳にする機会もなかったはずだが、何が彼女にとって刺激となったのか。こうした過程を「抽出」ではなくほぼ全員について追ったり考察したりできるのは、少人数ならではのメリットだと言える。