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[レビュー059] 筒井『社会学: 「非サイエンス」的な知の居場所』

[レビュー059] 筒井『社会学: 「非サイエンス」的な知の居場所』

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誰がいつ読んでも多くを得られるというわけではないが、ある程度経験を積んだ研究者にとってはものすごく重要な示唆をくれる必読中の必読文献。

著者のまとめを借りれば本書は、「科学的なアプローチと社会学的なアプローチを対照的に捉え、前者は距離化戦略、後者は反照戦略を取っていること、さらにそれぞれの戦略がどういう場合に有効になるのか」(p. 161)を論じている。「距離化戦略は抽象的理論や数量データによって対象から距離を取る方針で、対象の同質性(類似性、変化の少なさ)が見込める場合に有効である。他方、反照戦略はあえて対象から距離を取らず、対象とのやり取りを行い、対象から問いや概念を『受け取る』ことをいとわない方針で、対象の異質性(多様性、変化の多さ)がある場合には有効である」(p. 161)。この説明が何を言わんとしているのか全くピンとこない人は、まだ本書を手に取るタイミングではないと思われる。

本書は副題にもある通り、「『演繹的推論を重視しない』『因果推論を重視しない』という『非サイエンス的』知識生産の意義」(p. x)を明確にしようとするものであるが、著者は計量研究者で、距離化戦略と反照戦略という観点から、サイエンス的知識生産についてもその有効範囲を丁寧に検討しているところが、単に「非サイエンス」も重要だよ〜と叫ぶだけの議論とは一線を画している。

要約モデル・予測モデル・因果モデルの特性を整理することによって、両研究アプローチについて統一的な理解が促される。反照戦略の側においては、特に要約モデルと予測モデルの違い・連携について理解を深めることが重要だと言える(p. 115の指摘も含めて)。ガウス的アプローチとゴルトン的アプローチの整理も見通しがよい。

距離化戦略に基づく研究についての「推論における偶有性(contingency)のなさ、あるいは少なさ」(p. 4)に基づく整理や、関係モデルと階層モデル、ネットワークモデルそれぞれの特徴の説明などもすこぶる示唆に富む。具体例に基づく「解像度は、いかなる場合にも高ければよいというわけではない」(p. 96)という指摘なども、分かっていたことではあるがハッとさせられる。その手前の、「『質と量』という二分法」(p. 87)から来る他分野への批判についての(他分野に相対的に理解が不足することは避けられないが)「深刻な問題があるとすれば、自分の理解の解像度が低いということを意識していない場合と、自分が詳しい分野を他人がとらえるときの解像度の低さについての寛容性がない場合であろう」(p. 90)という指摘も。

本書は、質量二分の不毛さについての議論も、不毛さを指摘して終わるのではなく、なぜそれが問題とされるのかを丁寧に考察した上で、「量的なものの質的決定」として「人々はどうやってカテゴリーに関する判断をしているのかといえば、それはカテゴリーに関する『質的』な理解に依拠している」ことを指摘している(pp. 91–92)。要するに本書で直截に示されているのは、両戦略の具体と強み弱みに目配りの効いた、これぞまさしく!という研究についての成熟した思考だ。KKVで関係者にはお馴染みのキングら『社会科学のリサーチ・デザイン』が結局、定性的研究を因果推論の枠組みに適合させることを目指しているという指摘(p. 45)もなるほどな、と思う。

教育についても、いずれかの戦略に基づく研究それ自体が問題なのではなく、それぞれが以下の指摘をどれだけ自覚した上で研究・実践を行ったり研究結果を参照したりしているかが問題なのだと言える。

たしかに、演繹的に導かれる完結した理論や、実験的に確かめられた効果の場合、もちろんそれが対象に影響し、対象の一部を形作ることはあるだろうから、広義の再帰性のなかに存在することには違いない。ただ、このような知識は対象に差し戻されたときに、その内容が反照的に再解釈されることの余地は小さいだろう。これに比べて反照戦略によって作られた知識は、その解釈面での緩さ(許容範囲の広さ)ゆえに、社会の実践的場面において活発な流通・修正をみせることもあるだろう(p. 117)。

前に述べた「プラクシスとポイエーシスの相克としての教育実践研究」という議論を深める鍵もここにあると感じている(これについては、また別途論じたい)。

拙共著『英語教育のエビデンス』でも共著者が一部論じてくれていることではあるが、「要するに、斉一性が期待できない対象について標準科学的なアプローチを用いることの妥当性について、それほど考察・配慮が進んでいないのではないか、ということである」(p. 113)という指摘は、ISLAなどと言って教室にあがりこんでくる第二言語習得・外国語教育関係者のみならず、現象の位相によらず”evidence-based”を錦の御旗に教育政策・実践に関する議論を進めようとする輩たちに突きつけたい。

ちょっと残念なのは重要なところでの誤字。(1) 表2.4(および表4.1)の「均質化不要」は「均質化必要」の誤りでは?無作為化されている前提だから均質化は不要ということ? (2) 「前者には『回答者に任せる』という判断を…」は「後者には…」の誤りであろう。増刷の際に修正されますように。

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