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[授業後029] 先生は友達になれるか(英語科教育法で寄せられた質問から)

[授業後029] 先生は友達になれるか(英語科教育法で寄せられた質問から)

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昨年度の英語科教育法で学生から寄せられた質問とそれに対する私の回答シリーズ。

Q. 「教師と友達のような関係性」について先生はどのような意見を持ちますか。教師の権力者のような、高圧的と言いますか、そのような上の質問とは逆のような昔の教師と生徒の関係性についてはどのように思いますか。私は友達関係のような先生は好きですが、それによって舐めた態度を取ることは違うなというように思っています。そこに線引きが必要だなというふうに考えます。

A. 教師と生徒はどこまでいっても非対称的な関係にならざるを得ない、というのが私の意見です。仲良くなることはできますし、一緒の方向に向かって進んでいく、あるいは一緒に何かを成し遂げる仲間という意味では「友達のような関係性」は十分あり得ると思いますが、あくまで「ような」であって本当の友達にはなり得ません。

まだ知り合って月日は浅いですが、私と皆さんの関係を例に取ってみましょう。授業や一緒に過ごす時間を重ねていけば、私と皆さんはますます友達のような関係になっていくかもしれません。いかつい、授業以外では全く関わらないタイプの教授に比べれば話しやすく、部屋にも遊びに行きやすいタイプの先生です。しかし皆さんはどれほど親しくなったとしても、私から「ねー、どうやったら彼女できるかな?」などと友達がするような相談を受けたいとは思っていないでしょう。「ゴメン、今日、友達とディズニー行くからちょっと授業休む」と友達が言っても、ちょっと怒るか羨ましがるかで終わったとしても、私が言ったら許してはもらえないでしょう。私も、皆さんからたくさんのことを学ばせてもらっていますが、同世代の友人にするような仕事やプライベートの相談を皆さんにそのままぶつけようとは思いません。研究や教育や生活のことを皆さんに相談するとしても、皆さんに聞きたいことは友人に対するものとは異なるだろうし、違った訊き方で尋ねるはずです。

別の場所で、趣味などを通じて、教師と学生という関係性なしに仲良くなったのであれば年の離れた友達になることもあるかもしれませんが、教師と学生という関係性で始まったものはどこまで行ってもその教える・教えられるの期待と構造から自由になることはありません。教師が生徒・学生に対する評価や懲戒の権限を持っている限り、権力的に対等にはなり得ないのです。授業評価という形で私も皆さんから評価を受けはしますが、私は「単位」を取る必要もなければそれを落とすこともありません。しかしそれは、教師と生徒・学生が仲良くなれないということを意味するわけではありません。友達とは仲良くなり方が違うというだけの話です。

だから、教える側が教えられる側に対する権力を持っていないフリをすべきではなく、そのことに自覚的でなければならないと思うのですが、だからと言って「権力者」として高圧的に振る舞ってよいということには全くならないというのも重要な点です。そもそも、授業や学校生活は生徒・学生と共につくるものであって、教師だけで作れるものではありません。非対称的な関係であっても、高圧的に振る舞うのは学習者に対して「舐めた態度」だと思います。要するにプロとして稚拙なのです。教える側が授業を受ける者に対して舐めた態度であれば、向こうから舐められるのは必然だと言えます。

一方で、学校での児童・生徒の「舐めた態度」には「甘え」の表出という場合も少なくないと思われるので、それをどの程度許容するかは教師としては現実にはケースバイケースでしょう。

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