編者の若有保彦先生(秋田大学)にご恵投いただいた

は、読み始めたら止まらなくて、一気に読んでしまった。少しも古びないどころか、ずっと読まれるべきであったし、学校英語教育に多くの変化が突きつけられている今こそ読まれるべき論考の数々。一般書店での販売はないが、語研を通じてなんと1,000円+送料200円で入手可能とのこと(上記のリンクを参照)。

第1章からキレ味がどれもスゴい。『これからの英語教師』にエッセンスは入っているとしても、『現代英語教育』1968〜1969の記事は初めて読んだ。どの記事でも50年後の今が厳しく問われている。さらに第3章の「いっとう りょうだん」を読んでいると、このブログや他で書いてきたことを含め、私などまだまだ生ヌルい中途半端な甘ちゃんだと反省せずにいられない。もし存命中にお目にかかったとしても一刀両断にされていたことだろう。特に「四面楚歌の英語教育 −来月号まで待ってはおれぬ−」という回がすごい。当時以上に来月まで待ってくれない今の英語教育界において「来月号まで待ってはおれぬ」という気概の記事がどこかに載っているだろうか。

時代順に並べてくれているので、読んでいると、若林先生自身が学びながら、学習者側の視点から考えながら、怒りながら、常に現状を憂い英語教育界に問いを投げ続けていたことがわかる。第4章に書かれているような知識を持った先生が好きであり、そういう話をしてもらいたかった学習者であったことを思い出した。英語教育研究の立場から個人的に最も興味深かったのは第7章で、ここには文法指導の基本的な論点が全て出し尽くされており、未だ何ら明確な答えは与えられていない。

と読み終わってふつふつ煮えたぎっていると、『英語は「教わったように教えるな」』と併せて、過去に若林先生が何を論じてきたか以上に、これまでの間に英語教育界はそれにどう応答してきた(と言える)のかの方が気になってきた。平たく率直に言えば、多くの人には肝心なことはおよそ何も理解されてこなかったし、本書で突きつけられている諸問題を若林先生ほどにはシリアスに受け止めていなかったのではないか。先の「四面楚歌の英語教育」の若林先生の言葉を引こう。「英語教育というものは、どういう条件のもとで成立し得るのかについて、目がただ英語界内部にしか向けられていない。いつもいつも『敵は本能寺』みたいなもので、同士うちばかりやっている。とっくの昔から、英語は四面楚歌なのだ。そろそろ自虐趣味をやめようではないか。いくら自分をいじめても、誰も同情などしてくれはしない」(pp. 43-44)。