講師・助言者を務める研修の公開授業で、5年生のWe Can! 1, Unit 7に基づく授業を観た。

本時は単元の初めだったので、題材に興味を持ってもらい、ややもすると勉強のための勉強に陥りがちな前置詞句表現(の違い)を楽しんで学べるかが見どころかなと思っていたら、徹底的な教材研究と先生の子ども理解、同じような授業をここまで重ねて出来上がったのであろうクラスの温かい雰囲気に支えられた、この上なく素晴らしい授業で、「知的に面白くて楽しい授業」のお手本のようだった。去年の同研修の公開授業も素晴らしくて、あれ以上はないだろうと思っていたら、違ったテイストでcan’t be betterな授業を見せてもらい、なんともシビれた。

複数のICT機器をスムーズに駆使する姿に目が行きがち(故に自分には真似できないと思いがち)だが、それは慣れの問題に過ぎない。今日の授業者の先生はむしろ、授業全体の流れにおいて、子どもたちが考えたり作業に取り組んだり言ってみたりするためにどういう教材や指示が必要で、前置詞句表現をどういう順番で扱うのが子どもたちの学習に最も適切かといったレベルの読みが抜群で、それに必要な教具が必然性を持って選ばれているというのが肝心だ。だからこそとっさの対応も臨機応変にできるのだ。はじめと終わりのALTからのビデオ・メッセージや彼に向けてのメッセージ撮影等、ICT機器は主要な存在(として活かされていたの)ではあったが、授業全体としてみれば表現・交流手段や教具の一つに過ぎない。ICT活用研修のゴールは、「ICT機器」がその先生にとって特別なものではなくなること、ことさら「ICT」と言わなくなることだと思っているので、今日はゴールへの到達の姿を一つ見せてもらった感じ。事後協議で、他の参観者に比べて、研修参加者にICTを相対化したコメントが多かったことも研修の深まりを感じさせた。

それにしても、We Can! 1指導編に「位置関係を示す前置詞についても理解を深め…」と書いた人は(指導要領自体への賛否は置いて、英語入門期の全体的理念を考えれば)言語学的にも教育学的にも相当感度が悪いか、小学校教員への目配りが足りなすぎるかのどちらか、あるいは両方だ。大事なのは前置詞句であって、前置詞だけを単独で取り出しても理解が深まりなどしない。「前置詞」という呼び名自体が句を前提とする高度に抽象的な関係的概念を示していることにまさか気づいていないのだろうか。今日の授業でも「シャツをインする」って言うじゃん!という話が出ていたように、inもonもunderも、子どもたちの多くは必ずしも「前置詞」というカテゴリーで捉えているわけではない(「机の上」ってなんて言ったらいい?という問いかけにhigh!と答えていた児童がいたことも見逃してはならない)。そもそも道案内で、ハイライトするほど前置詞(の違い)がキーとなることも考えにくいでしょう、という根本的問題もツラくてイタい。

もちろん子どもたちは耳が良くて、on the deskとunder the bookからonやunderをすぐ取り出したし、途中「イン!」「アンダー!」と前置詞のみで答える姿があっても、先生が句で言うことを徹底していたので、「知る・分かる」にフォーカスした今日の授業で前置詞を切り出したことに違和感は感じなかった。そういう意味で、We Can!を正面から扱いつつ、そのダメさ加減も引き受けて乗り越える授業を展開できていることに私はシビれたし、畏れ入ったのである。本時や教材の想定を超える児童のあらわれが授業中にいくつか見られて、それが授業を観る醍醐味だと思っている私は、その辺のコメントに熱くなるあまり、「Let’s Try!/We Can!を使用する普段の授業においても、いやLet’s Watch and ThinkやLet’s Listenを取り上げる普段の授業においてこそ、この授業のような展開や動画・音声の使い方が必要だ」ということを事後協議会で伝え忘れてしまった(参考)。個人的には、本時の授業でon the wallに衝撃を受けた子どもたちの「理解」が、今後の授業のどこかで、on/under the ceilingやby/under the treeといった表現に出会って一度揺さぶられれば良いと思う。でも今日得た理解の延長線上にin/on timeの違いもあるのだ。