Pocket

2年前に共同研究をする機会を得て以降、西伊豆町の小学校とお付き合いをしている。10月前半に昨年以来の訪問をし、複数の小学校で3〜6年の授業を観察する機会を得た。以下は、その内の小学校の一つの協議会でお伝えしたこと。

(1) 教材に状況説明・視点・文脈を足してあげたい(というよりも、そうしないと特にLet’s Watch and Thinkの多くは児童にとって苦痛になり兼ねない)

We Can! 2のUnit 3は特に扱いにくい単元である。Let’s Watch and Think 1の動画は,メッセージの理解を促す動画になっているとはとても言えないし,そのまま流すだけでは活動も成立しにくい。事実,最初に動画を見せるや否や,児童から「どういうこと,どういうこと?!」「何が言いたいかわかりません!」と混乱の声。その前に,動画を見せようとした際にある児童が発した「そもそも名前が分かりません」に象徴されるように,なぜ名前も知らない謎の4匹のキャラクターの動画を見なければならないのかが分からないし,名前の音声に聞き馴染みもなく,その後に名前の綴りを1文字ずつ言う習慣を知らないため何が話されているか直ちには了解できないからである。

授業では,1人目のキャラについて2回目はALTが読み,3回目はPCから再生し,児童から「一つずつ言っていた意味がいまわかりました」という声が出た。こうした児童の対応力・柔軟性は素晴らしいが,他人に自分の名前の漢字を説明することがあるように,ここではそれぞれが名前の綴りを説明しているのだというリスニングの視点やメッセージの文脈を聞く前に導入したり,「アルファベットを書けるようにする」という目的に照らして1文字ずつ聞いて綴るのであれば,好みについて語っている後半も含めて闇雲に通しで聴かせるのではなく,前半部分の音声のみを使用するか聞くべき場所を指定して活動を行うべきであろう。もちろん綴りを書いている児童もいたが,ぼーっと聞いているだけの児童もいた。

(2) 子どもの音・意味に関する反応(言語に関する気づき)は全て学びのチャンスと思うべし

上述の動画の2人目Carrotinaについて,「先生,『キャ』ですか『カ』ですか?」と何度かこだわって訊く児童がいた。「キャロットだから『キャ』ですよね?」とたどり着いて確認する児童さえいた。授業者はほとんど無視して流してしまったが,非常に勿体無いことをしたと思う。ここでcatやcampといった語彙を提示して「キャット?カット?」と問えば,「カットなわけないじゃん!」と/ca/に対する気づきが促されたことだろう。さらに言えば,その後にcarやcarpを提示すれば,「同じ綴りなのに車を『キャー』と言わないのはなぜか」という深める問いを投げかけることもできる。音の違いに敏感な時期の児童だからこそ,授業中に気になったことはすべからく豊かな学びの機会を示しているのだ。

意味についても同じことが言える。(主語はIで,動詞の上にイラストが添えてあり,SVOのOに意識を向けさせる)Let’s Watch and Think 2の活動について,同じCarrotinaについて「(この)ハートって何ですか?」と尋ねる児童がいた。授業者の先生や他の児童は「likeでしょ!」っといなしてしまったが,この児童はまだ“like”が読めず(あるいは他のwantなどと未分化な状態で),その意味がハッキリしないからこそ尋ねたのだ。/laik/と聞いて直ちにその意味が理解できれば良いが,むしろlikeの意味をlikeで説明しようとするのは明らかに悪手であり,過去の学習内容や具体的な文脈,例,言い換えなどを添えてlikeの周辺情報を豊かにしてあげる必要がある。実際,彼女は,最後のI study English.には英語の教科書風の絵を描いたが,I eat fish.に対して(動詞はlikeだった)チョコレートの絵を描き,I like music.に対して(動詞はwantだった)ニンジンの絵を描き,I want bananas.に対してピザの絵を描いていた(ただしI like pizza, tooとも言っているのでピザでも正解なのだが,授業者の先生がそれを捉えられていなかった。逆にmusicに対してI want carrotsと言っていた人参もOKだと解説してしまった)。このあらわれは彼女がいまいる段階を如実に示しており,目的語に関する意識以上に,動詞(句)の音と意味のつながりについての学習を必要としていることがありありと分かる。

他方で,I want bananas.のbananasに対して「2本描かなきゃダメ?」と名詞の可算性に関わる鋭い洞察を見せる児童もいた。こういう児童の反応を捉え,授業に活かしていくには英語やことばに関わる内容的知識が求められ,Let’s Try!We Can!の指導書にその解説が(いまの小学校の先生がたの多くにとって)十分与えられているとは言い難い。

(3) 必ずテクストを通じて確認しよう(音声を通じてのメッセージ理解)

小学校の外国語活動・外国語については特に,そして音声・動画を中心とする教材を用いるからには,このことはもっと強調して先生がたに伝える必要があると感じたのが今回の訪問だ。例えば(1)で述べたLet’s Watch and Think 1は,学習活動としては1〜4番の音声が誰であるかを判断して数字を記入するというものだが,英語学習としては(その作業を通じて)音声メッセージを理解しようとすることが大事であるのは言うまでもない。しかし授業のプロセスが本当にそうなっているだろうか。

同じLet’s Watch and Think 1について,2人目以降,音声を聞くのは1回だけで,しかも(謎の矢印も混乱を生んだり,動画が分かりにくいと判断して)最初からALTに読ませていたが,授業者は,理解を確認する質問としてWhat does Bananat play?、What does Fishelle like?と投げかけたものの,特定の児童から「答え」が出るとすぐに「そうだね」と次に進んでしまった。ここは実際に音声をもう一度再生し,確かにそう言っていることを全員で確認しないとダメだろう。(2)で述べた展開を見れば,各キャラの好きなもの・欲しいもの・勉強している科目が児童に充分残っていたとは言えないことは明らかである。だとすれば,この「答え」の確認は何の意味があったのか。Let’s Watch and Think 2でもCarrotinaのI like musicとI study scienceがどちらも教科であるため,music and scienceと答える児童が複数いた。先生が解説して済ませてしまったが,少しでもメッセージの理解に自信がない児童がいたら,可能な限り実際のテクストを通じて確認すべきである。そしてそれは,誰かの発した言葉の理解や対話に関わるものである限り,「答え合わせ」にすべきではない。コミュニケーションは答え合わせではないのだから。

「答え」のあるゲーム,例えばLet’s PlayのKey-Word GameやMissing Gameなどにも,テクストを通じて確認するプロセスの重要性は当てはまる。ゲームとしてはカードを取ったり当てたりすることが目標だったとしても,カードを取ったタイミングでそれまで出てきた単語を全て覚えているか確認するであるとか,最後の一つ前に言った単語は何かを聞くとか,(私はこの活動がそもそもあまり好みではないが)せめて児童が頭を働かせようと思う英語学習としての「歯ごたえ」が欲しい。Missing Gameはただの当てっこになってしまったが,隠す前にいくつか単語を聞かせて,その内見えなくなったものは何でしょう?分からなければもう一度を音声を聞かせて…という手順を踏まない限り児童には何も残らない。

以上のコメントについて、小学校の先生がたを責める意図は全くない。制度と教材がそれを招いているし、サポートがなければ確実に不幸を招くと言いたいのである。

ちなみに、今回の訪問では学生・院生チームを帯同し、小学校の一つで4年生の提案授業をさせていただいた。その様子を静岡新聞の記事に掲載していただいたのだが、最後の私の発言の「日本人教員が発音や文法的正確さを気にし過ぎるのではなく、児童の前で(児童が教材やALTの英語のメッセージを理解するために有効な)簡単な表現を」という意図は記者の方には伝わらなかったようだ。それでも取り組みを紹介してくれたということでよしとしたい。西伊豆の先生がたには私の意図は伝えられたと思うし、私にとっては今回の取り組みを通じた授業者の学生とそれを支えたチームの成長が何より嬉しいことで最大の成果なのだ。