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附属学校園の教育研究発表会シーズンである。静岡大学教育学部には3つの附属中学校があるが、その内の一つの授業を参観して考えたこと。

授業前の事前説明会では,(1)聞き手の感想や反応からよさを伝えることができたという達成感を話し手が味わう姿が見られたか,(2)よさが伝わっていないと感じた時にはジェスチャーなどを用いてあきらめずに積極的にコミュニケーションを図ろうとする姿が見られたか,(3)アンネの生涯について書かれた英文について聞き手を意識しながら要点をおさえて伝える姿が見られたか,(4)アンネの人生について考えたことや感じたこと,その理由などを伝え合う中で,伝わった達成感を味わう姿が見られたかという4つの視点が示され,学習のための学習という形ではなく,できるだけ英語を用いるのが自然な状況で英語を学んでもらうことを目指している旨の説明があった。

1年生の授業は,お茶や流しそうめん,百人一首といった日本製品に独自の工夫を加えたオリジナル商品のJapan Expoプレゼンで,前半と後半に分かれて互いに発表・評価をした。3年生の授業は,アンネ・フランクの生涯について4分割され教室の四隅に貼られた文章をグループで分担して読み,持ち寄って内容をシェアするジグソー的リーディングであった。昨年,東京都立両国高等学校附属中学校の鈴木悟先生が紹介してくれたやり方の応用だ。興味深いのは,(a)活動の要求という点で英語使用状況をより自然なものとしたのは1年生の授業だが,(b)途中の展開や(c)結果・まとめにおいてより多くの自発的な英語使用をもたらしたのは3年生の授業だったということだ。

どちらの授業についても,その良し悪しを論じたいのではない。勿論それぞれの生徒のあらわれから以下のようなコメントをすることはできる。

1年生の授業について,それぞれに思い入れのある実物を持ってきているだけに,優れたプレゼンをし(1)を感じている生徒は当然いた。全体での共有の際に先生・ALTとのやり取りで(2)を発揮した生徒もいた。しかし他方でプレゼン時に原稿を見て読み上げるだけの生徒も少なくなく,何を説明しそれに対して誰がどうフィードバックを返すかというところまで生徒たちに委ねられていたため,本時の授業に(1)や(2)を観察することは難しかったのも事実だ。オリジナル商品のプレゼンであれば,教室を自由に歩き回ってやり取りするよりは,ブース展示やポスター発表のような決められたコーナーを廻る方がそれこそ自然な活動形態ではなかったかとか,デリバリーに関する授業者の期待やプレゼンの相互評価の観点がもう少し指定されていても良かったのではないかということも指摘できるだろう。

一方,3年生の授業では確かに(3)を観察することができたし,主発問(Was Anne happy? What do you think?)に対する全体でのやり取りの中で,英語運用能力の高い生徒の助けによって曖昧だった理解が補正されたり深められたりする展開も見られた。授業後にハンドアウトに書かれた英文と日本語の振り返りを見ると(4)が確かにあったことが分かる。しかし,ジグソーのシェアの際に多くの生徒たちにとってはやはり「読んで分かりたい」という気持ちのほうが「分かりやすくちゃんと伝えたい」よりも強く,他の人が話している際も自分の報告のメモに腐心している生徒も散見された。他の人の報告を聞くべき必然性についてもう少し納得を得ておくべきところで,4分割の文章は前半2つと後半2つでは難易度が異なる部分もあり,読み取りや報告についてある程度タイム・マネジメントがあってもよかったかもしれない。

というようなこと以上に,2つの授業を観て私が最も興味を持ち、引き取って考えたいと思ったのは,先生がたが「できるだけ英語を用いるのが自然な状況で英語を学んでもらう」ことを志向した際,(a)においてreal-life task的な発想に意識が向くのはごく自然なことだが,そこから見ればむしろ「アンナチュラナル」とも言えるcontrivedな活動(今回で言えば先生が仕掛けたジグソー的リーディングからの再話)のほうが,(b)や(c)において子どもたちの,何とかして英語でそのメッセージを伝え,まとめようとする言語行動を促したという事実である。帰り道に,鍵の一つは,対話の相手への関心,ないしは相手の持っている情報への関心(の度合い)にあるのかもしれないと考えた。かつてテクストのgenuinenessと,テクストと読み手の関係に関わるauthenticityを区別したWiddowson (1978)や,engagement,meaningfulness,authentication by learnersという概念で学習活動を捉え,教室特有のauthenticityを論じたBreen (1985)に今こそ立ち戻るべきかもしれない。