[レビュー][旧記事]『推論発問を取り入れた英語リーディング指導』からの推論:文法指導に即して

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文法指導を対象としたものではないが、最近刊行された

は、文法教育の内容構成にも有効な視点を提供している。

まず本書において「発問」は、「生徒が主体的に教材に向き合うように、授業目標の達成に向けて計画的に行う教師の働きかけ」(田中ほか(編) 2011: 12)と定義されている。先攻研究に基づいて、発問は3種類に分類される。Mary flies to the Occident twice a year to buy fashionable cloths.という文に対する発問が説明のための例として挙げられている(田中ほか(編) 2011: 13-14)。

  • (a) 事実発問:問いの答えに当たる部分をテキストの中からそのまま抜き出して答えれば正解を得ることができるような問い
    • 例. Where does Mary go twice a year?
  • (b) 推論発問:テキスト上には直接表示されていない内容を推測させるもの
    • 例. Does Mary have a lot of money?
  • (c) 評価発問:テキスト内の情報を尋ねるのではなく、テキストに書かれた情報に対する読み手の考えや態度を表明させる
    • 例. Imagine you have a lot of money. Would you spend it on clothes and pleasure?

田中ほか(編)(2011)は、「文字通りの理解を求めるような事実発問だけではなく、推論発問を含めた異なるタイプの発問を準備し、バランスよく授業の中で発問を行っていくことが求められている」とする(田中ほか(編) 2011: 16)。

さらに「推論」には下のように「橋渡し推論」と「精緻化推論」があることを指摘し、「精緻化推論を発問の対象にすると、読み手はテキスト情報をもとに背景知識を活性化させながら、テキストを読むことにな」るとして、精緻化推論に着目することを述べている(田中ほか(編) 2011: 16-17)。

  • 橋渡し推論:文と文の間の意味的な結束性を保つために行われる認知的作業
    • 例. 歯は痛み無く抜かれた。歯医者は新しい方法を使った。→「歯」は「歯医者」によって抜かれた。
  • 精緻化推論:文章をより詳しく理解するために、文章には明示されていない情報を補足する認知的作業
    • 例. 歯は痛み無く抜かれた。患者は新しい方法が好きだった。 →「歯」を抜いたのは「歯医者」である。

その上で、田中ほか(編)(2011)は、 「推論発問を作成する上での4つの原則」として「明確性」「意見差」「証拠」「挑戦性」を挙げている(田中ほか(編) 2011: 24-27)。

  • (a) 明確性の原則:問いを明確にする
    • →発問の意図が明確(clear)であること。
  • (b) 意見差の原則:異なる意見を引き出す
    • →発問に異なる複数の意見が期待できること。
  • (c) 証拠の原則:本文中に証拠を探させる
    • →答えを本文中から抜き出すこと、ないしは本文中に隠されたヒントを手がかりに推理、推論して答えを導くこと。
  • (d) 挑戦性の原則:挑戦的な問いにする
    • →発問が、読解作業への意欲を十分に喚起するほどに、挑戦的であること。

各原則の解説における以下の点は、文法概念の形成を意図した教育内容においても考慮されて然るべきだと私は考える(田中ほか(編) 2011: 24-27)。

発問の明確性は、Yes/No形式、Either/or形式、Wh-形式の順に落ちていきます。つまり、Wh-形式の答えが多様であるのに対して、Yes/No形式およびEither/or形式の答えは、選択肢が2つに限定されます。選択肢が示されれば、論点が明確になります。Wh-形式はその種類によって明確性も異なります。一般的に、Who, When, Where, Whatは、Why, Howよりも明確性が高いと言えるでしょう。 発問が事実発問、推論発問と移るにしたがい、明確性が減少して、学習負荷が高まります。したがって、学習負荷量を発問形式で調整することが必要になってきます。例えば、推論発問のWh-形式では学習負荷が高いと判断されれば、Either/or形式やYes/No形式に変えることによって負荷を軽減することができます。…(中略)… 意見差(opinion-gap)の原則は、前述した発問形式と密接な関連を持ちます。つまり、Wh-形式に対して、Yes/No形式およびEither/or形式は、答えの選択肢が2つしかないので明確性は高いのですが、答えの選択肢が2つに限定されているので意見差は小さくなります。…(中略)… グループ内討議またはグループ間討議で、異なる意見が提示されたとき、…(中略)…自分の意見が他の意見よりもより正当であるということを立証する証拠を探したグループ、または個人が評価されます。…(中略)… 推論発問に答えるためには、生徒は自分の推論の証拠(evidence)探しをすることになります。この証拠探しの作業が、本文を繰り返し読む動機づけとなるわけです。問いに答えるために推論の根拠を本文中から探し求める作業は、目的を伴った能動的な学習と言えましょう。証拠は簡単には見つからないことが多いので、証拠探しの際に、生徒は発問に直接関係する部分だけでなく、必然的に他の部分も読むことになります。…(中略)…  事実発問が挑戦性に欠けるのは、答えが本文中に書いてあるからです。英語の得意な生徒は、すぐに答えを見つけて退屈してしまいます。一方、推論発問は答えが本文から抜き出せないため、英語の得意な生徒にとっても手ごたえがあり、パズルを解くような挑戦性があります。

挑戦性については、「 局所発問」か「全体発問」という違いや、証拠と発問の位置関係によってレベルが異なることも詳しく述べられているが、ここでは割愛する。

田中ほか(編)(2011)では、この原則に沿って、以降の章で、教科書の会話文・物語文・説明文のそれぞれにおける推論発問の端的な具体例を挙げ、活用のポイントや授業展開例を紹介している。最終章では、ごく限定的ながらいくつかの観点からの推論発問の効果の検証も試みられている。

私は、田中ほか(編)(2011)の4つの原則を見て、藤岡(1982)の「教材化の四つの形式」を思い出した。藤岡(1982)は、「社会科の教材づくりの視点と方法」と題する連載の中で、「よい問題」の条件として「具体性」「検証可能性」「意外性」「予測可能性」の4つを挙げている(藤岡 1982: 100-104)。

  • (a) 具体性:問題を構成する要素が学習者の経験と結びついているということ
    • →ただし、「具体性を担っている契機」は「量的な側面」(例「日本の人口は、江戸時代の後半の調査ではずっと同じくらいで変化がないが、いまの人口は一億二千万近くもある。いつごろからふえはじめたのか」)、「対象が五感に与えられていること」(例「ドングリを食べてみるとしぶい。ではこれを食物として食べるためにどんなことをしたと思うか」)」、「日常みなれた素材」(例「時計まわりはなぜこの方向か?」)と様々である−−引用者注。
  • (b) 検証可能性:問題に対する答えが存在し、しかもどの予想が答として正しいかを調べる手だてが存在するということ(考古学的資料、文献資料、技術史研究の成果、実物との対比など)
  • (c) 意外性:子どもたちの予想と正答との間に何らかのズレがあり、結論が多かれ少なかれ思いがけないものになること
  • (d) 予測可能性:その問題を学習した結果として、同類の新しい問題に対して学習者がより正しい予測ができるようになり、また、関連したより多くの問題に予想がたてられるようになっていくという性質を問題が有していること

田中ほか(編)の「明確性」は発問に用いる言語形式に即して説明されているが、「問いを明確にする」という意図からすれば、「具体性」と結び付けて考えることができるだろう。もっとも外国語学習の場合、上で挙げられているような「契機」がそのまま適用できるとは考え難く、リーディングについては常識的知識や言語的・文化的スキーマがそれに当たるとしても不明な点は多い。文法の学習についてはほとんど明らかになっていないように思う。

「意見差」(と「挑戦性」)は(c)の「意外性」と関連している。自分と異なる意見は「何らかのズレ」であり、複数の意見のどれがより適切な推論かという議論は意外性をもたらし得る。「意見差」は上の引用のように、言語形式に則して「明確性」とトレードオフの関係にあるものとしてその性格が述べられている。しかし「意外性」という観点から考えた場合、必ずしも明確性を犠牲にして「複数の意見」が出ることにこだわる必要はないだろう。

例えば、授業で名詞の可算性を取り上げる時に好んで用いるのが、大西&マクベイ(2006: 147)の次の例だ。

  • A: What did you think of the salad?
  • B: I thought _____ in it.
    • (1) there were too many apples
    • (2) there was too much apple

当てずっぽうに答える者が多いと半々ぐらいになるが、「appleは数えられる名詞だ」「数えられる名詞にはmanyを使う」といったことを「勉強」してきた学生ほど(1)を選ぶ。この場合、サラダに入っていて自然なのは刻まれたりペースト状になったリンゴであり、(2)がそれを意味する((1)ではリンゴ丸ごとが投入されているイメージになる)と知ると学生は驚く。選択肢は2つで−−足しても構わないが明確さを損なうだけであろう−−全員が(1)を選ぶ場合もある(もちろん選択の理由を聞けばそれぞれに根拠を言ってくれることもある)が、彼らにもたらす「意外性」はかなりのものだ。教師の投げかけた奇妙な問題と、当然(1)だろうという彼らの想定の間にある種の「意見差」が生まれていると解釈することもできる。

上のような可算性にかかわる一連の問題を出題する時に、時間に余裕があれば映像も見せる。名詞の可算性については特に、道行く英語話者に同様の状況でどちらを用いるかを尋ねる「実験」映像が「証拠」、つまり(b)の「検証可能性」を補強してくれる。なお「検証可能性」について藤岡(1982)は、直接的な検証手段を欠くものを取り上げてはならないということではなく、そのためには、「かなりの事実についての集積と論理の媒介を必要とする」ということを補足している(藤岡 1982: 102)。

…角度をかえていうと、問題づくりではいきなり本質を問うてはいけないということでもある。資料で正誤をたしかめうるような現象を問うて、それが結果的に本質的なものの認識に到達できるようにするのが教材づくりのポイントである(藤岡 1982: 102)。

この点で、個人的な印象ではあるが文法の教授・学習を論じるものの中に、「文法の明示的指導」=「トップダウンに説明を与えること」という把握が少なくないことに常々懸念を抱いている。名詞の可算性については、最も抽象的なレベルでは「指し示す対象が有界的な存在として認識される場合には可算名詞の形で、非有界的な存在として認識される場合には不可算名詞の形となる」とか(石田 2002を参照)、「数えられる名詞は…」云々の文法解説書によくある説明、あるいはもっと噛み砕いた所では「一本一本の木はくっきり数えられるのでa tree/ treesとなりますが、『木材』とか『樹木』といったように一本一本の区切りがない捉え方をする場合にはtimberという単語があります」(glassの例のほうがいいかな)などといった説明を与えることができるが、これを一度や二度したところで可算性の理解が得られるわけはない(得られるのならしたいし、して欲しいが!)。また、こういう説明ができたからといって可算性を適切に使い分けた産出ができるとは限らない。「明示的指導」について考えるべき問題は、そのような浅薄な学習観の彼岸にあることのはずだ。

一連の問題・解説を経た学習者は、____ on the kitchen table.と____in the pasta sauce.のそれぞれに、There are a lot of onionsとThere is a lot of onionのどちらを入れるだろうか。それまでの問題の「予測可能性」が試される。もちろんどちらを入れても構わない。テーブルにスライス状orペースト状のタマネギがでろりんと広がることだってあり得ないではないし、料理初心者の向こう見ずな輩ならパスタソースに丸ごとを放り込むかもしれない。その状況を想像するのも言葉の面白さと恐ろしさに「気づ」ける活動になると私は思う(田中ほか(編)(2011)の「意見差」が活かされる)。

(d)の「予測可能性」に直接相当する言及は田中ほか(編)(2011)にはないが、「挑戦性」といくつかの点でつなげることはできるかもしれない。続く問題が「意欲を十分に喚起するほどに、挑戦的で」なければ、学習者はそもそも考えてみようとは思わないだろうから。「予測可能性」について藤岡(1982: 104)は次のように述べている。

予測可能性は、その教材で何が学ばれるか、という成果の側面を直接問う基準である。教材の中に内在する教育内容へのすじみちが検討される局面であり、問題の良し悪しを評価する最終的なキメ手でもある。たとえば③の問題(「日本の人口は、江戸時代の後半の調査ではずっと同じくらいで変化がないが、いまの人口は一億二千万近くもある。いつごろからふえはじめたのか」−−引用者)で日本の人口が開国と明治維新以後増えはじめたことを知らされた学習者は、政治や経済のしくみがかわると人口がふえることがあるということを印象づけられ、その結果、他の国の歴史を学習する際にもその知識を適用して、人口の変化をより正しく予想したり、逆に人口の変化から社会の大きな変わり目の存在に気付いたりしやすくなるだろう。同類の新しい問題に対する予測能力が高まるのである。

藤岡(1982)の議論に素朴なところがないと言えばウソになる。だが上述の4つの条件は、学習文法の「何をどこからどこまでといった記述内容・構成・配列と記述方法」(松井先生)を考える上で示唆を与えてくれると思うのだが、どうだろうか。

同時に、学習英文法シンポジウムの流れで文法に即して論じては来たが、上の引用はリーディング指導に対する示唆も含んでいる。テキストそれ自体を味わい尽くすこと自体が骨の折れる作業で、そのための指導が重要で有益であることは疑いようがない。だが同時に、様々な推論発問によって「深い読みを促す」授業を通じて何が学ばれ、結果として学習者はどういうskillsやperspectivesを得るのかといったことの考察が、田中ほか(編)(2011)の読者には求められるように感じた。それがなければ、上述の原則や条件を満たす推論発問を作ることも難しいだろう

文献:

  • 石田秀雄(2002)『わかりやすい英語冠詞講義』大修館書店
  • 大西泰斗&クリス・マクベイ(2006)『ハートで感じる英文法:会話編』NHK出版
  • 藤岡信勝(1982)「社会科教材づくりの視点と方法10:教材化の四つの形式」『社会科教育』〔No. 225〕明治図書,pp. 100-108.
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