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そうだ,論文を読もう。読むだけじゃなくて,ちゃんとまとめておこう。

「英語の授業は英語で」政策の論点は亘理 (2011)でも整理したので,世間で騒ぎになる度に,個人的には”Enough!”と思うところもある。ただ,例えば最近,和歌山大学の江利川先生がブログで紹介されていた久保田先生の紹介文献は、多言語主義・複言語主義(あるいは単一言語使用の社会的問題)に関するもののみだったり(これが必要のない文献ということでは勿論ないけれど),実証的研究の成果が共有・検討されて行かないのは気になる。

これは,「で,実際のところ学習者はどー思ってんの?」という,韓国での調査に基づく研究。

リサーチクエスチョン(RQs)は,以下の3つ。

  • (a) 12歳(6年生,英語学習歴3年、年少学習者)と18歳?(大学生、英語学習歴9年、成人学習者)のEFL学習者は,いわゆる英語母語話者教師(NESTs)に教わることと,非英語母語話者教師(NNESTs)に教わることのメリット・デメリットについてどのような認識を持っているか
  • (b) 年少学習者と成人学習者は,英語のみの指導とL1へのコード切り替えのいずれを好むか
  • (c) 語彙学習におけるL1の使用に対する学習者の態度はどのようなものか

予備調査に基づいて5件法16個の質問からなる質問紙(韓国語)の内容を固め、国立の2小学校487名と4大学の英語クラスに参加する311名に調査を実施し,758名(それぞれ449名・309名)の有効回答を得た。加えて,予備調査のサンプルから年少12名と成人10名に対して,教師の指導スタイルや,NESTs/NNESTsそれぞれに対する見解等についてインタビューを行った(pp. 723-725)。

(a)については,「全体としては年少学習者より成人学習者のほうがNESTsを好むと考えられるが,成人学習者でさえ,NESTsは必ずしも望ましい選択というわけではなく,言語的背景よりも専門的技術のほうが影響する」という結論(p. 735)。これは,「2. NNESTsだけに教われたらなあ」(成人M = 2.09, SD = 0.88;年少M = 2.41, SD = 1.07),「3. 大事なのはどう教えるかということだけで,教師の母語が何かは問題ではない」(成人M = 3.97, SD = 0.90;年少M = 3.48, SD = 1.14)といった質問の結果に基づく(p. 727)。

(b)については,「全般に年少も成人も英語のみの指導を好むというわけではないが,特に興味深いのは,成人学習者の間にさえ,英語のみの指導はもっと上級レベルの学習者でしかできないだろうという信念があることだ。中級ないしは中上級の学習者が『自分には英語のみの指導での学習は無理だが,もっと上級の人ならできる』と答えるのであれば,じゃ,じゃ,じゃあどのレベルの学習者なら英語のみの指導に対処できると答えるというのか(しきい値はあるのか問題)」との指摘(p. 736)。ここから,英語のみの授業に対応できるかどうかの認識は英語運用能力についての自覚と関係しており,この点についてさらに研究が必要だろうと続ける。

これは,「6. 教師は英語の授業では英語のみを使うべきだ」(成人M = 2.82, SD = 0.97;年少M = 2.25, SD = 0.97),「7. 英語に触れる機会が多くなるので,英語のみの指導の方が良い」(成人M = 3.62, SD = 0.95;年少M = 2.79, SD = 1.04),「9. 英語のみの指導は上級学習者のほうが上手く行くだろう」(成人M = 3.35, SD = 1.07;年少M = 3.41, SD = 1.11)といった質問の結果に基づく(p. 727)*1。ただ,「8. 教師は英語の授業では大半は英語を使い,韓国語はちょっとだけにすべきだ」(成人M = 3.65, SD = 0.88;年少M = 3.87, SD = 0.85)という結果も出ているので,当然ながら韓国語ばかりの授業を好んでいるわけではない。

(c)については,年少学習者と成人学習者に顕著な違いが見られた。すなわち,「年少学習者の場合,新出単語の意味を英語で説明して欲しいと思う者はごくわずかだったが,成人学習者の場合,韓国語で説明して欲しいと思う者が同じぐらいわずかであった」(p. 737)。これは,「13. 単語を理解する際その方が効果的なので,語彙指導では先生が英語のみを使うほうが良い」(成人M = 3.09, SD = 0.91;年少M = 2.57, SD = 1.06),「14. 語彙学習については,理解できるなら,英語のみの指導のほうが良い」(成人M = 3.91, SD = 1.01;年少M = 3.19, SD = 1.19)といった質問の結果に基づく(p. 728)。そしてこれは,第二言語学習の初期の段階では,概念とL1の語彙表示との対応が既に十分に発達しているため,L1と結びつけてL2の単語が処理されやすく,熟達に伴ってL1ルートに依らなくなって行くという,Kroll and Stewart (1994)の改訂階層モデル(RHM)とも符合する(pp. 721, 737)。

結論としてMacaro and Lee (2013)は,「教師のタイプに関してはっきりと好みは示されなかったが,年少学習者は明らかにインプットの十分な理解を助けられないNESTsはツラいと感じており,成人学習者のほうが,教師のタイプは教え方ほど重要ではないということに同意しそうだ」と述べている(p. 738)。韓国では,2009年の時点で初等・中等学校の76%がNESTsを雇用しており,正式に雇用されたNESTsは7997人いるそうだが,(韓国語ができなくて)教えるのヘッタクソなNESTsも少なくないんだろうなあということにしばし思いを馳せた。

それ以上に興味深かったのは,コード切り替え例を記録した先行研究De la Campa and Nassaji (2009)――の経験の浅い教師のほうが経験のある教師より新出語彙に訳を与えていたという発見――からの含意としての,「より多くの経験が,英語のみの指導によって生じる問題を解決する能力を高めるかもしれない」という指摘である。やはり,「『英語だけでの授業』は,できるかできないかというよりもむしろ,どのように展開できるかという問題」だよな(亘理, 2009, p. 36)。以下,拙論該当箇所を引用しておく。

 

その際,日本語にしても英語にしてもその量よりも質に目を配ることが重要である。Macaro (2006)は,コード切り替えの回避の否定的影響として,教師の話す時間が長くなる(=教師・学習間,あるいは学習者同士のインタラクションの時間が減る)こと,現実の談話らしさを損なうこと,語彙や統語構造の多様性が減ることなどを挙げている(Macaro 2006: 73)。というのは,目標言語だけで指示・説明を理解させようとすれば,ゆっくり話したり,発話を繰り返したりより単純なものにしたりすること――いわゆるteacher talk――が必要だからである。当然ながら,全ての英語教師が状況に応じて最も効果的なteacher talkを与えられるわけではない。したがって目標言語の使用に固執することで最も懸念されるのは,それが授業全体の知的レベルを大きく下げ,学習意欲を損なわせることである。「英語だけでの授業」は,できるかできないかというよりもむしろ,どのように展開できるかという問題である(亘理, 2009, pp. 35-36)。

  • 亘理陽一 (2011).「外国語としての英語の教育における使用言語のバランスに関する批判的考察: 授業を『英語で行うことを基本とする』のは学習者にとって有益か」『教育学の研究と実践』6, 33-42.

 

to be continued…

 

  • *1 英語のみの指導によって,英語でコミュニケーションする気を失くす学習者が出てきて,授業が逆にコミュニカティブではなくなるかもしれない問題が,特に年少学習者に対して懸念されることの指摘もあるが,少なくとも今回の研究においてはかなり間接的な推測なので,ここでは措く。ただ,「年少であればあるほど目標言語のみで教えるのが良い」という論者もいるので,年少学習者は必ずしもそう思っていないということは留意すべきだろう。