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TESOL Quarterly 46(3)の特集内容が“Novice Professionals in TESOL”ということで,とりあえず

を読んだ。以下,雑感的まとめ。

読みながらまず考えたのが,「“novice teachers”とはどういう人を指すか」ということ。日本語で「新人教師」というと学校や塾で教え始めたばかりの人というニュアンスだが,経験があっても勤務先が変われば新天地ではnoviceなわけで,何かのキッカケで教える教科を変えることばあればその教科に関してはnoviceなわけだ。Farrell (2012)はそんなまとめ方はしていないが,つまり「○○歴が浅い」という意味でnoviceを捉える場合,少なくとも

  • (職業としての)教員歴
  • 言語指導歴
  • 場所歴

といった尺度がありそうだ。どうでもいいことだが私は,大学教員歴は5年目(非常勤含めれば9年目)だが,英語指導歴は7年目,場所歴は1年目。場所歴的には間違いなくnoviceと言っていいだろうが,他はどうだろう?

この論文では“novice teachers”は次のように素朴な「新人教師」のニュアンスで定義され,転属や長期のブランクによる“novice”という話は考察の対象外とされている(Farrell 2012: 437)。

… those who are sometimes called newly qualified teachers, who have completed their language teacher education program (including teaching practice [TP]), and have commenced teaching English in an educational institution (usually within 3 years of completing their teacher education program).

もう一つ考えたのは,ここで言及されている,「いつ“novice teachers”でなくなるのか」という問題。もちろん主観的にそう思うタイミングは個々人で違うだろうし,“novice teachers”の研究でも1年から5年まで様々だそうだが,このtransitionの問題は興味がある。

Farrell (2012)は,少なくとも教師になって最初の数年の間は“reality shock” (Veenman 1984)があり,“teaching effectively and learning to teach”という2つの複雑な仕事を抱える点で大変だと指摘している。Tarone and Allwright (2005)の次の指摘を引いて,時に新人教師の独力ではこのギャップ埋められないじゃん!と言うわけ(太字は引用者による)。

[the] differences between the academic course content in language teacher preparation programs and the real conditions that novice language teachers are faced with in the language classroom appear to set up a gap that cannot be bridged by beginning teacher learners. (p. 12)

それで 第二言語教師の養成課程はこのギャップをもっと上手に埋められないのんか,新人教師が直面するかもしらん困難に対してきちんと準備させてあげられないのんか,嗚呼?!と叫ぶのがこの特集の趣旨らしいのだが,ここでさらに考えたのは,「“novice teachers”のnoviceとは何に対してnoviceなのか」ということ。少なくとも,

  • Pedagogical content knowledge(PCK,さしあたり佐藤の訳語を借りれば「授業を前提とした教材についての知識」)
  • 教員養成課程で学んだ内容と教室で直面する実態のギャップ(の埋め方)
  • 環境(教室,学校,地域,…)
といった面がありそうだ。個人的にはHuttner et al (Eds.) (2011)などと絡めて一点目について今後考えてみたいと思っている。

Farrell (2012)によれば,新人教師の成長の“three main stakeholders”――この言い方自体好きじゃないのだが――は,新人教師たち,第二言語教育の専門家,学校の管理職。教員養成課程から最初の数年間(勝手に新人期と呼ぶことにしよう)へとスムーズに移行できるよう,おまんらちゃんとコラボせえ!となる。ただ,第二言語教師の養成課程には大きく言って

  • 何を知っている必要があるか
  • どのように教えるべきか
  • 教え方をどのように学ぶか

があるが(Johnson 2009),この辺にまだ全然合意がないところがツラいところよね,という話が続く。Farrell (2012)はこの問題に深入りせず,次のどちらか(どちらかと言えば後者)によってより良い新人期の準備ができると考えている。

  • reflective activitiesや課題を通じて養成課程で学ぶ内容を新人期の実践に結びつけること
  • 新人期の実践についての補習的教育を施すこと

ところで,新人教師が新人期に優先して学ぶのは,(上のまとめで言うと「環境」に当たる)“how to manage the classroom context”だという指摘がある(Farrell 2012: 440)。具体的には,この特集の別の論文(Shin (2012))で”although novice Korean English teachers were required by government policy to teach English through English, they could not do so because of issues with classroom management.”という指摘があるようだ(なので次はShin (2012)を読むことにしよう)。

さらに,新人教師は養成課程で得た知識を自動的に実践に当てはめることができるわけではない:

… because teachers must construct and reconstruct “new knowledge and theory through participating in specific social contexts and engaging in particular types of activities and processes.” (Richards 1998: 164) (Farrell 2012: 441)

そこでFarrell (2012)は,formalにもinformalにもできることはあるよと,mentorsの果たす役割や,それに同僚や家族も加えたサポートが重要であることなどを述べている。Shin (2012)にしてもmentorsの話にしても,他の先生の授業を見たり,mentorと呼べる同僚と同じクラスを教える,授業計画を一緒に練る,アイデアや教材を共有するなどが提案されている。ずいぶん前から(先進的事例として)国内のそういう取り組みの話は聞かないでもないので,Farrellたちの議論はそう目新しいものはないのかもしれない。ただ一方で,最近の中教審の修士卒を求める提言にしても,単に実習期間を長くして「即戦力を求める」という雑な議論ではなく,こういう機会をどうやったら担保・充実させられるかを考えてから言ってほしい。ので,この特集は皮肉ながら日本の英語教育界にとっても時宜にかなったものになっている。

Farrell自身は,自身の研究をもとに,orientation-complication-resultというストーリー構造の枠組みを利用して新人教師自身が自分の経験を振り返って語ることを勧めている。この辺りは,Exploratory Practiceの志向するものや,柳瀬先生たちの研究との接点があるだろう。