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引き続きTESOL Quarterly 46(3)を読む。前記事で触れた

を読んだ。「教室に変化をもたらすのは容易ではない。学校教育の水準を高めるために無数の革新的政策が導入されてきたが,そうしたトップダウンの命令はたいがい失敗する」(Shin 2012: 542)とカッチョよく始まったので期待したものの,最後まで読んでみると,これから日本が通る轍を予感させて興味深くある一方で,背景の説明が十分ではなく,構図を単純化し過ぎのようにも思えた。

以下,雑なまとめ。

背景

前記事で述べたように,養成課程で学ぶことと現場で直面することには乖離がある。新人教師は,その学校のルールややり方,先輩教師の教え方をできるだけ早く受け入れようとする。それが養成課程で学んだ方法と食い違うのであれば,自分の信念を曲げる。なぜならその方が力量のあるメンバーと見なされるのが早いからだ。

韓国におけるこの悪循環の例がTeaching English Through English (TETE)政策だったとShin (2012)は指摘する。「英語で英語を教えること」が,英語教育のレベルを全国的に高めるために政府が導入して失敗した政策の代表格だったというわけだ。

ただし,Shin (2012)は「英語で英語を教えること」自体を批判しているわけではなく,教師たちに英語で教えさせるために,6ヶ月に渡る国内外での研修から習熟度別指導,英語運用能力や指導技術の認定テスト,英語母語話者の同僚を増やすEnglish Program in Korea (EPIK),新しいナショナル・カリキュラム,TETE認定証に至るまで数多くの政策を実施したにも関わらず結果が伴っていない(らしい)ことを批判している。

主な原因として教師の英語運用能力の低さが指摘されているが,Shin (2012)はそれに疑義を呈する。母語話者並の運用能力を持つ新人教師が教える際に韓国語を用いている事実を説明できないからだ。彼らがなぜ韓国語を選択するに至ったかを明らかにするのがこの研究の目的である。特に,TETEに対する考え方がなぜ,どのように形成され変化したのかを明らかにする必要があると指摘している。

方法

  • ソウルと京畿道の,教歴3年未満の韓国人英語教師16人(全員女性,中学校8,高校8,英語で教え始めて1週間〜6ヶ月で韓国語での指導に転換(7名が1ヶ月))
    • 教員養成施設教員から母語話者並の英語運用能力を持つ新人教師の推薦を受け協力を依頼。25人中21人が興味を示し,TETEに関する質問をして,英語使用割合が4割を超える2名と実質的なインタビューが実現不可能な3名を除外)。
  • 質問紙・“critical incident reports”(なぜTETEを止めたかを問うもの),個別インタビュー,インタビュー・データをまとめたものに対するe-mailでのフィードバックを総合的に分析

結果と議論

  • 英語が比較的高い割合で使われているのは,授業の序盤で挨拶,前時の振り返り,本時の目標の提示や活動の指示など(ただし16名中4名はまったく英語を使っていなかった)。4技能の中ではリスニング。リーディングや語彙,文法指導ではほとんど使われていない。英語だけを使うのではなく,大半の教師はまず英語で話してから韓国語で繰り返して理解を促そうとしている。この辺の結果は先行研究と一致しており,英語使用割合も先輩教師たちのと類似している。
    • 〔ここで使用されている英語使用割合を調べるカテゴリーがなぜその分け方と数なのかは不明。〕
  • TETEが困難な理由は,生徒の理解力不足が16名中15名。教科書の進行の妨げになるが14名。クラスをコントロールするのがツラいが11名。教材の不備や教師の運用能力の問題の指摘はゼロ。
  • 組織的制約:
    • だって,学年全体で同じ教材を同じ進度でやらなきゃいけないんだもん。

“One day the senior teacher came over to my desk and told me that, after exams, students might complain if my material is different from the other classes. When she asked me, “Do you have enough time to cover the course materials?” the insinuation was “You’d better stop.” (Critical incident, Soyoung)” (Shin 2012: 552) 〔これは確かにかわいそうだが。。。〕

    • 言語知識を測る試験をやらなきゃなんだもん。やってないとこ出すと「そこやってません!」って言われちゃうんだぜ(ToT)!
    • 教師中心の説明的指導法が隆盛なんだもん。。。
  • 学校文化:

“During speaking instruction, I had an activity where students moved around the classroom interviewing each other. After class, the vice-principal summoned me. I was told I should teach quietly, and that other teachers’ classes had been disrupted. I was almost in tears with chagrin, being regarded as a dumb novice. (Critical incident, Eun)”  (Shin 2012: 554) 〔『陽のあたる教室』の60年代のエピソードかよ。。。〕

  • 最善の言語指導・学習法に関する信念: 「経験のある教師はさァ,だいたい教師中心の指導法が一番良い方法だって信じてんだよねェ。それに慣れ切ってる生徒がそれを求めたりするからおっかないワ」
  • 学校レベルでの研修プログラムは誰も受けていない(採用前に行政区(の教委的な組織)によるトレーニングを受けたのみ)。職場の同僚と進度を決める会議に出ただけ。
  • (前記事で述べたように)他の教員と意見やアイデア交換する機会があればいいのにね&同じ学年担当の教師と協力したり古い教師の考え方を変えたりしてTETEの実現可能性を高めないとダメでしょ。入試にスピーキングとライティングを入れてくれりゃあウォッシュバックでウォッシュウォッシュなのに。

第二言語教師教育への示唆

ということで,クラスサイズやらなんやら整えたとしても,もっと大きな構造を変えないと英語運用能力の高い教師だってTETEを諦めちゃうよ。もちろんTETEのプレッシャーを抱え込み過ぎないように新人教師の運用能力を改善することは必須だけれども。上で指摘した古ーい慣習やら信念やらをぶっ壊さなないと悪循環は止まらないお。新人教師のための防風林(windbreaks)になるメンターがいるといいけど,そいつが邪魔になることもあるから何とも言えんね。一人の教師が4技能全てを担当するんじゃなくて,技能別のカリキュラムにして,新人教師にTETEでスピーキングやリスニングを任せてみては?

研究の限界と課題,結論部は省略。組織的制約の辺りなど日本の先生の多くも同情を禁じ得ないところだろう。オタクもそうですか,という感じ。ただ,その調査対象の偏りが気になる。もっと言えば,自分の言いたいことにはめようとし過ぎな感じ。

Shin自身はTETEに賛成で,先行研究のように教師の英語運用能力の問題に矮小化したくないから,こういう選択をしたのは理解できる。ただ,(英語圏で育って韓国語よりもむしろ英語の方が得意な調査協力者が)「いやあ私,『分詞構文』とか『再帰代名詞』とか,韓国語でなんて言うか知らなかったんですけど…」なんてインタビューの記述を見ると,英語運用能力はネイティブ並かもしれないが,英語教師としてそれ以前の問題…な「新人」たちなんじゃないかと訝ってしまう。文法用語についてL1で詳しく語れないとイカンというつもりはモチロンないが,生徒にそれが必要かどうかを判断するためにも最低限それくらいは知ってないとダメだろう。むしろこのテーマであればteacher talkの巧拙のほうが重要で,運用能力はそこそこの新人教師が出来る限り英語を使い続けてたり英語使用を諦めてしまったりした事例や原因を探るべきではないだろうか。今回の調査協力者にしても,teacher talkや授業構成の上手さ下手さはどうだったのかを見る必要がある。

加えて,これは研究の限界としてShin (2012)自身が指摘していることだが,運用能力や使用割合があくまで伝聞と自己申告なので客観性が担保されていないのも問題。上記の教員がnear-nativeだということにウソはないだろうが,16人のプロファイルはもう少し細かく提示して欲しかった。関連して,今回の16人の報告は基本的に都市部の学校の話だと思うのだが,それが韓国の中高にまあまあ一般的に当てはまる話なのか,学校や地域が変わると全然当てはまらない話なのか,その辺の判断ができない。ここはもう少し情報が欲しかった。

ともあれこの論文が有益なのは,トップダウンに「英語は英語で」と笛吹くだけで現場は踊るわけもなく,有形無形のサポートや学校単位・学年単位での協力体制の構築が不可欠だということを推進派の立場から訴えていることだろう。最近の某学会で「英語で授業しないなら学校を去れ」的なことを叫んだとか叫んでないとかいう某オッサンに読ませたいものだ。

加えて,最近「韓国の英語教育に比べて日本は…」という声を耳にすることが多い一方で,この論文を読む限り,それって韓流スターだけで韓国のメンズはみなイケメンと判断するようなもので,ツブサにあちこち見ていくと実際はそうでもないんじゃない(even worseなところも少なくない?)と思えて興味深かったのだが,どうなんだろう。その意味でも精緻なデータが欲しい。

ただ,Shin (2012)の報告を信頼する限り,またそれがある程度一般化し得る話だとすれば,韓国の場合は受験対応や学校文化による強い管理統制等に新人教師は立ち向かわなければならないが,日本の場合はむしろ半数以上が受験競争から降りている(から「受験」はもはや授業に向かわせる動機づけにはなりにくい)ことに立ち向かわなければならないわけで,TETEを推進するにせよしないにせよ,課題は異なりそうだ。