Pocket

こんな日もある。

概要には以下のようにある。

本研究では、文法指導に対する帰納的アプローチと演繹的アプローチについて、中学生の好みを明らかにし、学習の成果と好み、学習スタイルにどういう関係があり得るかを探るべく実験を行った。生徒たちは演繹的アプローチのほうを好むと表明したが、両アプローチとも等しく効果的だと評価した。彼らの学習成果と、好みないしは学習スタイルの間に関連は見出されず、この事例においては、あるアプローチを好むか否かは学習に影響を及ぼさないということが明らかになった。しかし、好みと学習スタイルの間には関連が示された。つまり、文法指導が帰納的に与えられたか演繹的に与えられたかという事実に関係なく、意識的学習が重要だと考える学習スタイルの者は一般的に文法指導を好むと言い得る。両アプローチとも事実上明示的な性格ものだったので、議論においては、明示的指導は特定の学習スタイルのほうがうまく行く可能性があり、明示的指導のほうに学習条の利点があることを示す研究があるからといって、暗示的指導は全く当てにならないものと思わないほうが賢いかもしれないというアイデアを探究した。

たいへん不遜ながら、この持って回ったアブストラクトだけで「たいしたことなさそうだなー」と思ってしまうわけだが、このトピックの論文をやっつけておかないわけにはいかず検討した次第。

概要では暗に(本文では直接に)、Norris and Ortega (2000) が「明示的指導のほうが効果がある」という結論を示したからといって鵜呑みにしない方がいいよーということを言わんとしている。この問題意識は真っ当。同時に、当たり前ではあるが暗示的指導が暗示的知識のみをもたらし、明示的指導が明示的知識のみをもたらすということを示した研究はなく、両アプローチにそれぞれの役割があるとすれば、様々なタイプの学習者が様々な条件でそれぞれのアプローチで学ぶ過程で起きることや成果についてもっと知る必要があるんでないかい?という問題意識。これもまあ真っ当だ。いいぞいいぞ。

本論では、両アプローチとも「明示的指導」とみなす立場を採っている。本論の(ほぼ唯一)偉いところは、一口に「演繹的指導」と言っても、規則と練習問題が与えられるものから、話し言葉・書き言葉の中に目標の文法構造がしょっちゅう出てきたりハイライトされてたりする(「インプット洪水」とかテクストでの「インプット強化」とか言うセンスのない名前で呼ばれるやつ)ものまであるというのを明確にしていること。同様に、「帰納的指導」と言っても、いくつかの誘導的質問を通じて規則を発見するよう求められた後、教師がそれを伝えるもの(彼らはthe illusion of a discoveryと言っているが)から、例を通じての規則の形成が完全に学習者に委ねられているものまで幅がある。

本論では、いずれのアプローチにも練習問題や言語活動やらインプット強化やらが盛りこまれているので、両者の違いは、「発見」のプロセスなしに教師から文法規則が提示される(演繹的)か、学習者にその「発見」が委ねられる(帰納的)かに求めることにするという定義。むむむ、ちょっとつまらない予感。

本論によれば、先行研究では指導の効果に関して一貫した結果は得られていない。つまり、演繹的指導のほうが効果があったと言う研究もあれば、帰納的指導のほうが効果があったという研究もあるし、両方に差はなかったとする研究もある。彼らは、それは文法構造の性質に依るのかもしれないが、学習者の(年齢や熟達度などの)集団としての特徴や、個人差や性格に依るのかもしれず、最後の「個人差や性格」との関連を調べた研究は少ないから、オレたちやるぜ!とRQsを以下の通り設定(既に雲行きが怪しいが…)。

  1. ある文法素性を演繹的・帰納的指導で教えた後、効果や興味の点で学習者はいずれの教え方を好むだろうか。
  2. 好むタイプの指導を受けた学習者間で、指導の様々な面に高い評価をつけた学習者と着けなかった学習者とで(目標文法素性の正確な使用という点で)学習成果に違いはあるか。
  3. 自己報告学習スタイル調査に基づく学習スタイルによって学習成果に違いはあるか。
  4. 特定の学習スタイルを持つ学習者は、各アプローチに違った評価をつけたり、違った好みを示したりするか。

参加したのは、ケベック州で第二言語としてフランス語を学ぶ7、8年生(12−14歳)——細かくは(と言っても私はカナダのこの辺の制度に明るくないのだが)モントリオールの2つの異なる英語教育委員会の管轄から7クラス——138名。演繹的アプローチでは決定詞の単元を、帰納的アプローチでは目的格代名詞の単元を、この順序で学んだ。各単元は13ステップで構成され、7クラスの教師たちは詳細な指示を受け取って授業を実施し、かかった時間やウマくいったところ、難しかったところ等を詳しく報告した。各単元にあてられた時間は140分から255分(それ以外に単元後の作業に150-180分)。

データは大きく言って3種類。すなわち、各単元の始めと終わりに実施した3つのテスト(1) 物語の中の空欄に適切な決定詞・目的格代名詞を三択で選ぶ、2) 文脈のない10個の文に適切な決定詞・目的格代名詞を埋める、3) 特定の決定詞・目的格代名詞に対する例を挙げる)と、アプローチに対する好みについての5件法による8つの質問(各単元の終わりに実施)、Cohenらが作った学習スタイルについての調査(最後の単元の終わりに実施)である。で、それを、分散分析にt検定、χ2検定、マン・ホイットニーのU検定とSPSSで節操なく分析。

もう引き下がれないところまで読んでしまってちょっと後悔もしたのだが、結果は想像の通りで、RQsの2〜4については特に違いは見出されなかった。担当しているリサーチメソッドの授業でも、データを取って有意差が出ないと学生が哀しそうにするので「有意差が出なかったからといって悪いわけでも研究として価値がないわけでもない。『有意差がない』ということを確かめることが重要な場合もある」なんて強調しはするのだが、ここまでn.s.が並んだ表を見せられるとさすがに哀しく、こんなのも掲載されるんだな…と思ったり思わなかったり。

有意差云々よりも本論では効果量が報告されていない(計算はできるけれども)。RQ 1に関して、3つの質問で有意差が見られ、「生徒は演繹的指導を好んでいる!」と叫んでいるのだが、例えば”How much did you like the way it was structured: first you were presented with the rule, then you practiced it [or] first you were asked to discover the rule, then you practiced it?”という、あからさま過ぎて何とも言えない気持ちになる質問の効果量を出してみると、0.34(効果量小)でそこまで騒ぐほどの差でもないことが分かる(「どちらが良かったか?」ということを直接聞いてχ2検定もしているのだが、71%が演繹的指導のほうの活動を選んでいるからといって、これはだいぶエグい)。どちらも機能語とは言え、やはりそもそも違う文法素性だしなあ。。。

好みに関する全体に言えるのだが、2.42〜3.74(標準偏差は0.88〜1.18)と得点がそう高いわけではない。なのに、生徒たちは演繹的指導を好んでいるゥ、楽しんでいるゥ!と騒ぐから、いやそれ以前にさ…ねぇ…と思っていたら、Discussionでこんな一節が出てきて泣き笑いの笑い泣き。

われわれの先行研究(Jean and Simard, 2011)で報告されているように、モントリオールの第二言語学習者は一般に、世界の他の地域に見られるのと同様(Loewen et al., 2009)、文法の学習を楽しんでいない。このことからわれわれは、文法学習は「必要悪」なのだと結論づけた。つまり、退屈だが役に立つというわけだ(Jean and Simard, 2011, p. 469)。この事実は、文法学習の楽しさ一般に関する質問に与えられた回答が5を最高得点とするリッカート・スケールで平均2.42であるということからも裏付けられる(p. 1034)。

じゃ、じゃあ、こんな研究する前にその文法指導をちょっとでも楽しくする(実践)研究のほうが先に必要なんじゃないでしょうかね!手続き説明のところに “in a quasi-experimental (ecological) fashion” (p. 1026)とあるけど、その意味で全然 ecological じゃないよ…と静かにファイルを閉じました。

ということで、やはりたいしたことありませんでした(付き合わせてすみません)。

Standing on the shoulders of giants … tremblingly.