Pocket

昨年末に、

という本が出て、これはこれで悪くない本だし、鳥飼さんの名前をきっかけに、英語教育関係の人たちも手に取ってくれているのだとしたらいいことだと思う。

ただ、大村はまの実践や国語教育に馴染みのない人は、この本を読む前に、同じちくま新書の

を読んでおくといい。特に、第2、3章で苅谷夏子さんが紹介する単元例を見ておくと、鳥飼ほかで苅谷夏子さんが語っていることのイメージもぐっと鮮明になるだろう。

さらに、鳥飼ほかのちょっと前に苅谷剛彦さんが、これまたちくま新書で、

という本を出しているのだが、これは上の2冊を読んだ後に読むといい。『教えることの復権』の第4、5章とつながっているのだが、鳥飼ほかも加わることで、オックスフォードで実践されているチュートリアルが立体的になるだろう。

で、名著として長く親しまれている大村はま『新編 教えるということ』 などは(教師になること、教師であること、教えること、育てることに強い気持ちがあるのであれば)いつ読んでも構わないと言えばそうなのだが、なんだったら以上の3冊の後によむといいのではないかと感じる。マジメな学生や先生ほど、大村先生の前では自分など芥子粒にも値せず、「ちゃんと考えて準備してしっかりおやりなさい」と言われちゃったら返す言葉は一つもナッシングとなってしまいそうだが、上の3冊を経ていれば、自分なりに受容する器もある程度でき上がって大村はまの言葉に対峙できそうな気がする。ちなみに私は上記の文献を全然違う順序で読んだ。でも、キュレーションとはそういうことなのだ。

学生・院生の頃、彼女らの名前を持ち出してスゴい実践なんだ云々と語る人たちが「虎の威を借る狐」のように見えて好きではなく、大村はまや斎藤喜博を意識的に遠ざけてきたところがある。「カリスマ」の功罪のようなことも(英語教育は特にこれが根深い問題の一つなので)常に意識にあって、大学教員になって以降も、授業やゼミで彼女らの名前を出したことはおそらく一度もない。ところが、鳥飼ほかの影響もあったりして、ゼミ生が大村はまの著作を調べたり読んだりしていると言う。こういうのは非常に嬉しいし、どんどん思索を深めて、私や他のゼミ生にも知見を共有してほしい。

今年も、ゼミ生が興味を持ち取り組むテーマは全くと言っていいほど私の元々の専門ではなく、そうやってこの10年私を鍛え続けてくれた。教師なんだから、それを導くのに必要なことばとてびきを持たなければね、と大村先生には言われそうだ…と想像して背筋を伸ばす。