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[授業後024] 同じ生徒ばかりを褒めることになってしまわないか(英語科教育法で寄せられた質問から)

[授業後024] 同じ生徒ばかりを褒めることになってしまわないか(英語科教育法で寄せられた質問から)

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昨年度の英語科教育法で学生から寄せられた質問とそれに対する私の回答シリーズ。

Q. 生徒がいいことを言った時に褒めることはいいことだと思いますが、いつもいい事を言う生徒が同じだった場合、その子ばかりを褒める形になってしまうと思います。(それこそコミュニケーション能力が高い子を褒めがちだと思うんですけど…)これをひいきだと見られてしまうのではないかと考えてしまいます。先生はこのことについてどのような考えを持っていますか、教えていただきたいです。

A. 授業中に生徒に意見を求めるやり方、そして授業外での生徒との関係によって、このことに対する対応も変わってくると考えています。

例えば私は基本的に挙手よりも指名が好みで、各グループに満遍なく意見を訊いていくので、少なくとも私にとっては「いつもいい事を言う学生が同じ」という状況にはなりにくいと考えています。ただ、指名した場合に「わかりません」という答えが出れば他の人に降らざるを得ないので(それが頻発する場合は、指名して意見を聞く前の経験や思考の時間の提供がうまく行っていないということだと判断すべきでしょうが)、結果として実質的な出番が特定の学生に偏るということはあるかもしれません。

これに対する私のスタンスは、「いいこと」でappreciateするのではなく、「授業への貢献」をappreciateするということです。これによって(私の担当する授業で解答が一つのことを訊く場面は多くありませんが)仮に誤った解答であったとしても、解答者も含め、授業に参加する者全員の理解を深めてくれたという意味で授業の貢献を評価できる。さらに、できるだけopen-endedなことを訊くことで、どんな意見でも授業への貢献として扱いやすくなり、特定の意見を「いいこと」扱いする必要はなくなります。基本的に各グループ、各参加者に満遍なく当てていくので、「先生は、あの人にばかり訊く」、「あの人をひいきしている」という風にはならないと思います(皆さんは違った感じ方をしているかもしれませんが)。これは英語の授業や他の授業でも同じです。

とは言え、ゼミなどの少人数の空間では特に、ライバル視している学生が褒められた(ようにその人には見える)のに、自分は褒められなかったことを気にして落ち込んだり、ということもなくはないので、授業外の時間に先日の授業で紹介した網・竿・銛のフィードバック(蓮行・平田, 2016)を使い分けることもあります。授業やゼミでの網・竿のフィードバックとしてはなるべく偏らないよう振る舞うけども、それでも生じる個々人の受け止めの違和感やむずがりを銛で微修正するというところでしょうか。過去のゼミ生との関係で「褒める」ということについて言えば、私の場合、褒めないほうが実力を認めていて、褒めるほど実は伸びしろに目を向けるよう励ましているという側面があるだろうと思います。

一方、挙手制だと手を挙げて貢献してくれる生徒が偏るということが確実に起こるでしょう。特に小学校の先生にはこのさばきがとても上手な人が多いです。つまり、自己肯定感が高く、よく貢献してくれる児童の自尊心ややる気を損なわない程度に活躍させつつ、ガマンもしてもらいつつ、それ以外の児童にも満遍なく発言の機会を与え、貢献を認め、自信を引き出していく。もらった質問に対応させて言い換えれば、「いつもいい事を言う生徒」の活躍しどころを見極め、その生徒が不満を持たないギリギリのところで打順を回す、そんなコントロールです。そして、普段自ら手を挙げていない子にもチャンスで打席に立たせる。よく児童・生徒のことを観察して、理解の度合いや全員の関係を把握していないとうまくはできないことで、ベテラン教師のワザだと思います。私には真似できません。

この回答だけではどういう感じかが十分に伝わらないことを承知でもう一つ添えておくと、ベテランは、網のレベルではよく褒めたり励ましたりするけど、個々人についてはここぞという時にしか褒めないということもあるかなと思います。あとは教員のチームでの役割分担とか、(上記のここぞという場面以外での)教師の褒めがさほど気にならなくなっていくようなクラス内でお互いに認め合う関係づくりとか、いわゆる「教室経営」としては色々あると思うのですが、その辺は時が来たらまたいずれ、というところでしょうか。

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