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[授業後025] 授業内の語彙指導の加減/自分にもわからない質問をされた時どうするか?(英語科教育法で寄せられた質問から)

[授業後025] 授業内の語彙指導の加減/自分にもわからない質問をされた時どうするか?(英語科教育法で寄せられた質問から)

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昨年度の英語科教育法で学生から寄せられた質問とそれに対する私の回答シリーズ。

Q1. 単語学習の話は、自分の実体験からもこうやったら覚えやすい、五感で覚えるといいなどはわかっていますが、中学生に単語を教えるときに全部語彙学習方略に当てはめて教えていたら時間がなくなってしまうのではないかと思いました。最初の方にこういうふうに覚えるんだよ〜と言ってもある程度単語数がないと文脈化したり、ネットワーク化したり、リスト化したりすることは難しいかなと思います。どの程度まで学校の授業内に単語指導をするべきですか?家で学習しやすいように導くということでいいのでしょうか。

A1. A good question. 基本的には小学校の役割と言えますが、基本の100語を含め、最初の2、300語程度までの名詞や動詞は、あれこれするよりも、音・形・意味をセットにしてとにかく覚えてしまったほうが早いところがあります。正確に綴れるかどうかは気にせず、固まりとしてその単語を見たら意味や発音がわかるようにするという感じです(英語話者の母語習得でも、目で見て発音できる単語をsight wordsと呼んで教えることが一般的です。参考)。そこから先は、初期の比重の中心は音声化において、だんだん身体化・文脈化・ネットワーク化・リスト化へと重心を移しながら、学んでいくのがいいかなと思います。重ねて活用しつつも、常に5つの全てを満遍なく、というのではなく、初期は音声化と身体化を中心に、だんだん文脈を重視し、語彙が増えてきたらネットワーク化、リスト化を強く意識して、という感じです。

高校などで授業を見ていてよく感じるのは、一回の授業で単語を導入し過ぎ&単語に時間を割き過ぎ、ということです。ただ単に一度に10個、20個の単語をわーっと覚えても、授業が終わればすぐに忘れてしまうだけでしょう。受容語彙としてはそれを繰り返すだけでも無駄ではありませんが、5分、10分の授業時間を割くほどの甲斐はないし、実際に意味のある文章を書いたり話したりしない限り産出語彙になることはありません。教科書の本文がどれほど印象深いパッセージだったとしても、その前後に単語指導として取り上げて意味のある数はせいぜい3〜5個だろうと思います。あとは授業外で単語を調べたり覚えたりする必然性を別に用意したほうがいい。全ての単語が一度に身につくとは期待しないことも重要です。

そして読む前・聞く前に導入する単語の役割や導入の仕方と、読んだり聞いたり、あるいは書いたり話したりした後の単語指導の役割や方法は違います。このことに無自覚で、かつ後者についてあまり考えずに、とにかくプリントで英語と日本語のフレーズシートを配って、ペアで問題を出し合って…というようなやり方を繰り返している先生が少なくありません。これについてはまたいずれ授業で取り上げることになるでしょう。

Q2. 生徒に、自分がわからないor説明できる自信がない質問をされた時どうしますか?私が塾の生徒に分からない問題を聞かれた時は「来週までに調べてくるね」「これは学校の先生に聞いてみて」などと言うのですが、それでいいのでしょうか。また、私が感覚やイメージで解答していた問題に説明を求められたときもどうするのがいいでしょうか。

A2. どういう対応の仕方であっても、そう対応した明確な理由や、できるだけ一貫した方針を持っていることが重要だと思います。その時の気分で説明したりしなかったり、調べてくると言って何もその後フィードバックがなかったりすると、生徒の側も不信感を募らせるでしょう。ちょっとの背伸びと(背伸びしていることも含めて)正直さが鍵かなと思います。

教える側も全てを知っている必要はありませんが、これが今自分にできるベストだ、という説明は試みて良いと思います。重要なのは結果ではなく、そして生徒に伝わるのも実際のところ、その姿勢であることが多い。しかし生徒は正直ですから、イマイチ納得してもらえなかったとか、自分自身も説明に自信がないという場合は、(一度しかチャンスがない場合はかないませんが、何度も会える関係であれば)事後に調べて、時間が経ってからでもそれを生徒に報告することでフォローアップができますし、そうすべきでしょう。生徒には「ああ、それはもう解決しました」と返されるかもしれないとしても、自分のためにそうしたほうがいいと思います。

このプロセス全体が、教師としての成長のプロセスとも言えます。

感覚やイメージで解答していたことについては、生徒にも感覚やイメージでの理解を求めてもいいでしょう。それができるようになるためにはどうすれば良いかを考えてあげればいい。生徒の要望が答えられるようになりたいということであればそれで解決です。ただ、それでも理屈で納得したい、というタイプの場合は、教える側に勉強が求められるでしょう。あるいは、理屈に長けた仲間を頼る。それは私が、教える側が個人でスーパーマンになろうとするより、チームで補い合って広い範囲をカバーしているほうが教師集団として頑強だと考えるからですが、生徒にそのことが十分理解されていれば、それでイメージ・感覚派の先生をバカにするということはないはずです。さらに言えば、その生徒が学んでくれるのであればそれで十分で、自分がバカにされたって大したことではないと思えば良いのです。

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