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[レビュー068] 上野『ジョン・デューイ』

[レビュー068] 上野『ジョン・デューイ』

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今の学生たちにとって新書はもう有効に機能するメディアじゃないのかもと思っていたが、稲垣・波多野『人はいかに学ぶか』がまだまだ現役で響くのを見ると、やはり適切なタイミングで出会うかどうか次第なんだろう。

出張の帰路は、上野さんの『ジョン・デューイ: 民主主義と教育の哲学』を読みながら。教育方法学界隈やアメ研の人たちはそりゃ興奮もするよなと思いつつも、これは、いつ誰に薦めるかが意外と難しい。「コモン(・マン)」が読み解くキーワードの一つであるわけだが、私自身、すっかり腑に落ちたかというとそうでもない。

学生時代、ホーレス・マンがなんじゃらほいと思っていたのに比べると、背景も丁寧に説明されていて本当にありがたい。キルパトリック=プロジェクト・メソッド、パーカースト=ドルトン・プランという具合にカタカナをマッチングするだけになっている「教採用語」も、同僚だったり影響を与えつつも考え方が違ったりという具合に、デューイをキーパーソンとして色々な人が繋がる。新渡戸稲造や渋沢栄一との関係など、なるほどそういう関係や逸話があったのかと膝を打つ箇所もたくさんある。

でもそう思うのは今だからだ。学部のゼミで『学校と社会/子どもとカリキュラム』を読んでいた頃に本書があったとして、果たして私は喜んで読んだだろうか?うーん、2章までで止まっていたかも。院に進んで『民主主義と教育』を読めるようになって第3章まで、と言ったところか。

要するに、教育にちょっと関心がある程度では本書は楽しめないだろうと思う。少なくとも、デューイの著作をいくつか読んだ人、あるいはデューイに並々ならぬ関心を寄せている人、卒論や修論でデューイ関連の研究をすることを決意した人である必要がある。あと、当然ながらアメリカについて、あるいは世界史・日本史の知識もあったほうがいい。それだけデューイが多方面にわたって活躍し、影響が大きかったことの証左ではあるのだが、人名がたくさん登場しすぎて混乱する人はそれなりにいるだろう。

デューイの来歴を年代順に辿っている以上、往路で読んでいた『歴史学のトリセツ』の概念を借りれば、本書はどうしても過去主義的に映る。「はじめに」において現在主義的視点は打ち出されているし、上野さんが未来主義のパースペクティブでデューイの研究・足跡を捉えていることは随所で伝わってくるのだが、もっと現在主義・未来主義を前面に出してもよかったかなあ、でも自分には(特に個人に焦点を当てたような)こういう本は到底書けないわけだし、すごいなあ、という感想が読後も自分の中で行ったり来たりしている。

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