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ご恵投いただいた

  • 一般社団法人大学英語教育学会(JACET)・淺川 和也・田地野 彰・小田 眞幸 (編) (2020).『英語授業学の最前線』ひつじ書房.

は、ポップな見た目に反して、現状に対して全く軽くない内容が語られており、立場によってはドラスティックな挑戦にも受け取れるだろう。その意味で「最前線」は大袈裟なタイトルではない。

本書の、特にジュディス・ハンクス先生の講演と柳瀬先生の章、そしてシンポジウムを読めば、アクション・リサーチや探究的実践の位置づけが整理され、外国語教育研究で当事者性、つまり教師自身が自らの実践を理解することや彼らの成長が重要視されてきた経緯や考え方がよくわかる。かといって理念的な色が強いと言えば、竹内先生の章で制度や調査を通じた実態との接続が図られており、さすが抜かりがない。

それにしても、シビれるのは吉田先生の章だ。教育(方法)学では、ショーンの省察的実践は共通言語のようになっているし(だからこその問題もあるが)、私自身、佐伯・刑部・苅宿 (2018)について、出版後すぐに教育方法学の研究会で言及したり、亘理  (2019)レディ (2015)を引いたりしたが、こうした(幼児)教育学や発達心理学の枠組みが英語教育の議論にも妥当するものであることを、わかりやすく、しかも実証的なデータを通じて説得的に示してくれている。

さらにJohnson and Golombek (2016)のような第二言語教師教育研究の文脈では、ヴィゴツキアンたちの間では当然の概念と言わんばかりに”perezhivanie”という言葉がさしたる説明もなく飛び交っていて、これについて英語教育界隈で日本語で説明しているものには今まで出会ったことがなかったが、「情動体験」としてわかりやすく解説されている。私が勝手に、英語教育研究者界隈の良心として吉田先生に私淑している(が、7回生まれ変わっても吉田先生のようにはなれない)こともあるが、こうした、誰かのための優しい知識がカッコいい。

とは言え、本書は3年間のあいだに開催されたセミナーを集めたもので、「英語授業学」なるものを体系的に語るものではなく、各章の内容をつなぐ作業は読者に任されている。「決して軽くない内容」の軽くなさを理解するためには、ある程度の経験や前提知識が求められ、読み手を選ぶ一冊と言えるかもしれない。

冒頭で「立場によってはドラスティックな挑戦」と書いたように、英語教育研究を認知主義的にのみ捉える立場からすれば、本書の全てが異なる認識論に基づく、別の世界線の議論に見えるだろう(Cf. 草薙・鬼田・亘理, 2021)。しかし、どちらも同じ英語授業という事象・営為を扱っているのだとすれば、シンポジウムの柳瀬先生の以下の言葉が私にとっては本書の意義を最も端的に表しているように思われる*。そして、英語授業(学)の議論においてそれがまだまだ十分とは言えないことが、本書が「最前線」である証左だと。

複数の認識論を理解して使いわけることができることが人間の成熟であり、それこそが多文化共生を可能にするのではないでしょうか。複数の認識論を理解して、できればそれらを使い分けながら実践することです。仮に実践するのが難しいにせよ、複数の認識論を理解するということは、教養の欠くべからざる要素だと思います(p. 106)。

* その意味で、ハンクス先生が講演タイトルに用いているpraxisという言葉には特定の認識論が反映されており、アリストテレスの分類に即して、安易に「実践」で片付けずもう少しこだわって解説的に訳したほうがよかったようにも思う。英語教育界隈でpraxisという概念が十分理解されているようには思えないから。