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大学院の授業「英語科教育課程論」のメイン・テキストに、次の文献を選びました。

教育課程(カリキュラム)について空論とならずに且つ近視眼的にならずに考えるためには、評価(法)について考え、評価サイクルとして各段階と全体を捉えることが必要不可欠だと考える故です(昨年は前期の「英語科教育指導論」も担当していたので、そちらでは同シリーズのExploring English Language teaching: Language in actionをテキストにしました)。

この授業では、毎回、報告担当者以外にテキストの日本語サマリーの提出を求めています。報告と議論を踏まえたふり返りのレポートも提出しなければならないので院生は大変ですが、どんな内容でも、自分が重要だと思う内容をA4一、二枚でまとめて伝えられるようになること、これが目標です。

「院生に求める以上、自分でもやってみせないとね」ということで、以下、第1章の要約です。完全に私の言葉でまとめてありますが、引用形式で載せておきます。

会ったことのない人の電話の声だけでも,われわれは,その人となりについて色々推測し判断を下す。本書はその内,言語評価,つまり言語についての知識,言語を使用する能力,その知識・能力を適用する技能といったもの*1の測定・評価に焦点を当てる。端的に言えば,言語評価は「ある人物の言語に関連する知識・技能・能力についての推測を裏づける証拠を得ることと定義される。

教師は評価リテラシーとでも呼ぶべきものを身につけ,言語評価の行われ方,得点のつけられ方,解釈のされ方を理解するだけでなく,自分でもできるようになって有効に活用する必要がある。経験が教えるところでは,評価リテラシーのレベルが低いと,教育に関するひどい意思決定を招き,効果的になり得た指導・学習も台無しにしてしまう。

テストはあるパフォーマンスを引き出すことを目的に作られる。この内容を決め,パフォーマンスを得点化し,得点の意味を決定し,活用する一連の評価行為をテスティングと呼ぶ。評価は,テストとテスティングを含むより一般的な用語で,情報を得る選択肢として,教師による問いかけや練習問題,自己評価・ピア評価,観察,ポートフォリオなどのインフォーマルな形式も含む概念である。要するに,テストが言語評価の唯一の手段ではないし,成績をつけるようなフォーマルな手続きだけで言語評価が行われるわけではないと知ることが重要だ。

他者から新しい技能を学ぶ方略はたくさんある。単に模倣するだけなら評価はその成否を見ればよいが,観察・模倣のみによって学習できるのはごく限られた技能に過ぎない。複雑な技能の学習には,「なぜ」そのようにするのかを理解することが重要となる。教師は,学習者の取り組みを観察し,フィードバックを与えることによって学習を支援する。学習者がその時点でできることと,ある課題をうまく成し遂げるためにできるようになる,あるいは理解する必要があることとのギャップを把握するためには,その課題と学習者の両方について高度な認識が求められる。優れた教師とは,自身がその技能に熟達し,学習者に手が届きやすいようにその技能を使ってみせる能力を身につけていると同時に,複雑な技能を,うまく行くための要因となる様々な要素に分解して提示できる存在である。

協働で問題解決に当たるという学び方もある。こうした集合的・社会的な学習は,メンバー一人ひとりが成果にどのように貢献したのかを見分けるのが難しいため,特に伝統的なテスト等を用いる場合,評価を難しいものとするより良い結果をもたらすためには,自分がどの部分であれば改善し得たかメンバー自身が理解することが必要である。

評価の目的は様々で,指導がなくても評価は生じ得る。実際,公開テストを好まない学習者が多い理由の一つは,大抵の場合,テスト実施者が各問題の正解・不正解に関して何もアドバイスをくれないということだ。何も教えないテストというのは想像に難くない。他方,評価を伴わない指導を想像するのは不可能に近く,言語教師は学習者を評価する効果的方法を見つける必要がある。大きな課題は,第二言語の学習過程については依然として不明なところが多いということ,そして人によって学習の目的が異なることである。われわれは,言語の学ばれ方についての見解,知識・能力の証拠となり得るもの,学習者が直面する困難,そして彼らが能力を伸ばすための支援の方法について明らかにする必要がある。

*1言語知識・技能・能力の関係についてはStern (1993, p. 72)の整理が役に立つ。