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たいへん平易な文章かつ実用的な内容で、これはすぐさまあの先生やこの先生に届けたい!と思いながら一気に通読した(奇しくも勤務先の大学院入試の日であった)。

英語教師になる人のためのブックリスト(私家版)」に挙げる本は厳選すべしと自分を諌め、個人的には思い入れの深い『無責任なテストが「落ちこぼれ」を作る』は入れていなかったのだが、本書は迷わず入れた。学生・院生にも薦めたい。

本書でも何度か引用されているGreen (2013)は大学院の授業で数年テキストにしていて、単元構成・カリキュラム編成と結びつけた形でアセスメントの重要概念の解説はあちこちでしてきたのだが、本書を通じて、私自身は分かったつもりになっていても、「なるほどなあ、これはもっと伝えなければならないことだ/ちゃんと伝えてなかった」と反省したことが多々あった。具体的には、

  • 「『問題形式』が統一されているからといって、『テスティング・ポイント』が統一されているわけではない」こと(p. 12)
  • 「様々な助けを借りてやっと読めているような教科書と同じレベルのテキストを定期試験に用いてしまえば、ほとんどの生徒にとって読めないテキストになってしまう可能性があるということ」、加えて「テキスト・タイプの整合性」(p. 50)
  • 「世界の様々なテスト開発機関においては、逆にテキストを決める前に問題がほぼ決まっているというのが、『常識』と言っていい」こと(p. 54)
  • 「基本的には自由作文のようなテストには減点法は用いない方がよい」こと(p. 73)
  • わかるようになるプロセス(pp. 111–112)
  • 4技能評価における「診断」の可能性(p. 173)

さらに私個人が特に勉強になったのは、

  • 「テキスト・オーセンティシティ」と「タスク・オーセンティシティ」の区別と考え方(p. 32)
  • 「言語学的オーセンティシティ」、あるいは「相互作用的オーセンティシティ」の考え方(pp. 61–62)
  • 「『全体的採点』では、あたかもこれら複数の観点が『手と手を取り合って、仲良く』発達していくという想定(holistic-universal view)のもとにあるということ」(p. 93)
  • 文法テストのデザインに対して想定され得る熟達度テスト(のデザイン)の影響(pp. 97–98)
  • 単語テストの問題点の分析(pp. 106–107)
  • 評価手法としての「観察」の研究・評価の必要性の指摘(p. 146)

といったところ。学生・院生はまず第1部、実際に教員になると(特に若手教員は)第2部、ベテラン管理職になると第3部がそれぞれ、端々で役に立つゥ!と感じられることだろう。第3部は関係当事者としての著者の苦悩が垣間見える気がしたりもするが。

先日、金谷ほか (2017)のレビューを書いたが、私がわーわー騒がずとも、問題の核心は既に本書にズバッと指摘されていた。第5章のコミュ二カティブ・テスティングに到るまでの言語テスト研究史と、以下の引用を読まれたい。

さて、昔の教科書の練習問題を見て気づくのは、それが今日の英語のテスト問題に酷似しているということだ。今日のテストが昔の教科書の練習問題を引きずっていると言える。また、昔は、テストがそのまま教科書の練習問題になっていたとも言えるかもしれない。いずれにしても、昔は、教科書の練習問題とテスト問題の形式が似ていたので、テストでこの種の問題が出ても、違和感はなかっただろう。

しかし、この状況を今日の生徒の側から考えてみるとどうだろうか。教科書には、かつてのような「練習問題」はなく、オーセンティシティの高い言語活動がある。となると、授業の中では、顔の見える相手と一生懸命コミュニケーション活動をやっている。にもかかわらず、テストとなると、授業中にはやったこともない「並べ換え問題」や「空所補充問題」などが出てくるということになる。これらの問題は、英語の教師にとってはおなじみでも、生徒からすると目新しいものである。他にも、これまでに私が調べた中学校の定期試験問題における「書くこと」のテストでは、その9割で和文英訳問題が出題されているが、現行の検定教科書の中で和文英訳課題を載せている教科書は、おそらく存在しないだろう(p. 44)。

ただ、金谷ほか (2017)で私が最も受け入れられない話(pp. 174–175)が、だいぶニュートラルなニュアンスではあるものの本書でも部分的に肯定されていて(p. 116)、そこだけは嫌だった。実用性の観点からこういう発想が出てくるのは理解はするけども。。。