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隔週で実施している

の読書会。再び私の担当がまわってきた。その報告資料。

[PDF版]

July, 10, 2020|教育英文法オンライン読書会 #6

第6章 オンラインコーパスを通じた文法使用の検索

報告者: [亘理 陽一]_pp*

(Collocates [静岡大学]_pp*, 1+)

1. サマリー: いやでも語法の話ですよね。本章では,外国語教師が利用できるオンラインのコーパス紹介をしている。ここでは以下の3つの活用法が提案されている。

  • (a) 舞台裏での活用: 授業や教材,タスクをデザインする際に参照するものとして→COCAの使い方講座。フォーカスが鍵
  • (b) 教室内リソースとしての活用: 学習者が自らの疑問を調べる辞書的なツールとして→初中級の学習者はこんな順序でどうでしょ: LDCE ➡︎ Just the Word ➡︎ COCA
  • (c) 学習者が研究者的分析に活用: (1) 用意したコーパス分析課題→いかにもなDDL的なやつ、(2) 自分で調査できるように学習者を鍛える

(a)については,この読書会の趣旨に照らして評すれば退屈だ。『英語教師のためのコーパス活用ガイド』と同種の解説と思えば需要はそれなりにありそうだが(それにしたって,著者の言う「フォーカス」にたどり着くのが容易じゃないから今現在ですよスタジオにお返しします,という感じ),「文法指導においてレマ化やPOS指定とはどういう意味を持っている(持ち得る)か」を論じたら面白いのに

(b)についてはsuggestの語法の話でしかなく,それが文法指導として何を教えるための,あるいはどういう活動で必要な検索なのかがわからない。データを示して「suggest usという形はあまり見ませんね」という一言で済むものを一時間かけて検索させるのだとしたら不毛で,英語が嫌いになるだけだ。もっと調べ甲斐のあるものをくれ

(c)は,「研究者」と言えば聞こえは良いが,かったるい(というのは前回までにも議論があった)。研究者の立場に置かれれば無条件にモチベーションが上がるわけがない(p. 105。毎日に汲々としている周りの「研究者」たちを見てみればよい)。(b)の場合と同様,内容によるに決まっている。(1)は,内容が陳腐であればあるほど,学習者は「先生は答えを知っているのに,なぜ我々はこんな遠回りな『作業』をしなければならないのか」1)と思うだろう。図6.18のBoulton (2010)のような活動は,right/goodのニュアンスをつかむためにやっても良いとは思うが,依然として語法の話である。早く文法指導の話をしてほしい。(2)は言うだけなら簡単だが,学習者への放り投げの危険性しか感じられない。

2. 教育内容・言語活動の構造化の視点のないコーパス活用は百害あって一利なし と思わず感じてしまうのが,表6.1の舞台裏の「ステップ」とその内容の貧しさ。中級ESL学習者向けの文法のクラスで「感覚結合動詞+形容詞のパターンと他動詞パターンとの対比に焦点を当てたい」。ここまでは良いとしよう。「前者が単純現在時制で用いられることが多いのに対し,後者は現在進行相でよく用いられる」(から何なんだというのは措くとして,その)ことが,コーパスのデータによってクリアに見えるとすれば活用したらいい。「授業のフォーカスは,結合動詞を話し言葉のコミュニケーションで効果的に理解し用いること(だって話し言葉でよく使われるから)」。は?他動詞構造との比較どこ行ったん?動詞句周辺の統語論的・意味論的概念理解が深まるのでもなく,何らかの具体的なタスクに供するのでもなく,lookの用法ひとつの,文脈的に断片化された複数の例文を提示する意味はどこにありや。こんなステップ,いくら踏んでも不毛地帯で足踏みするだけだ。

本書の圧倒的な(文法の)授業観の貧しさは,(c)について,Graded Readerのコーパスを紹介する記述にも表れている。「最後に,言語分析活動をどのように構造化するかを考えたいと思うかもしれない」(p. 112)。いや,それが最初だろう。そこから始めないでどうする。結局,彼女らにとっては初中級の学習者でも使えそうな「ノイズを比較的コントロールできる」道具という捉え方でしかない。

図6.25と図6.26のDDL教材についても論評しておくと,後者で先に指導を受けてから退屈な分析作業をやらされるよりは,先に英文を吟味してみて「何だろう」という状態になってから指導を受けるほうがまだマシなのは間違いない。しかし,そうして学んだことが何につながるのかが(少なくとも書かれてい)ない。Makeとdoの語法を適切に理解・使用できることが,taskの達成やコミュニケーションのintelligibilityにどう影響するのかを語れないとすれば,上述の教師のような目的は掲げられないだろう。動詞句周辺の統語論的・意味論的概念理解が深める立場からすれば,「それ自体がおもしろいのだ」という理由はあり得るけども。

関連する具体例として,

  • i. 担当している「情報処理・データサイエンス演習」では,VLOOKUP関数を教える際,3回のテスト(および3回平均)の成績判定とコメントを自動入力することを目標とし,1回目についてVLOOKUP関数を正しく入力した状態のファイルを学習者に渡し,何をどう入力すれば良いかを分析してもらった。
  • ii. 事例「店」の授業(宮崎 清孝 (2009).『子どもの学び 教師の学び: 斎藤喜博とヴィゴツキー派教育学』一莖書房. pp. 36–69)「原理的にいえば,たった一つの事例でも,それを分析していけばその事例に体現した普遍的な概念を抽出できるはずだ」(p. 61。ダヴィドフに基づく)。

といったことを重ね合わせて上記の問題を考えたい。

3. コーパス活用の可能性について。語法の話ではあるのだが,SVCの構造を取る結合動詞としてのlookについて,図6.5のような結果が返ってきた場合,コロケーションについてポジ・ネガ以外の分類軸はないのだろうか(p. 92。UserLocalなどのコーパス分析についても思うこと)。つまり,(a)学習者はポジティブな,あるいはネガティブな形容詞を使いたいという発想をするのだろうかという問題と,(b)コーパス言語学者が喜ぶ以外に,学習者にとって有り難みのある分類やまとめ方はあるのかという問題。ジャンルごとの比較情報は多少は意味があるだろうか。

4. 談話レベルでコーパス検索の意味とはMICUSPを取り上げ,各学問分野での談話標識の検索例が示されている(p. 114以降)が,「howeverが698本の論文で3242回使われていた」というような情報は学習者が英作文をする上でクソほどにも役に立たない。重要なのは文章中のどこでhoweverが用いられていたかであって,その存在の有無ではないからだ。自然,前後にどういう内容があってhoweverがそこに置かれたのかを吟味する必要があり,MICUSPでももちろんそれは参照できるわけだが,その時に思うのはそれは教科書の本文等を読んでhoweverの使われ方を学ぶのと何が違うのか,ということである。というよりもhoweverやfurthermoreのような談話標識を学ぶのに,大規模なコーパスは必要だろうか。精巧に編まれた教科書の,一定以上の語数のパッセージの中にそれがあるのであれば,そこで言及し,2,3の例を見れば事足りる話ではないのか(現行の高校の教科書でhoweverが一度も用いられていないものを探すほうが難しいだろう)。

5. 余談。Chambers (2005),Yoon (2008),Ishikura (2011)と,この章でキーとなっている先行研究が一つも巻末文献一覧に載っていなくて驚く(探せば分かることではあるけれど)。どれかが欠けているぐらいなら間々あることとしても,一つもないのは清々しいくらい悪質。

1)「以前,私の授業を履修するある学生が,自分が受けてきた英語授業の端的なイメージを,小学校は『遊び』,中学校は『練習』,高校は『作業』と括り,他の学生も多くがそれに同意した。それでいいのか英語教育よ」(亘理 陽一 (2020).「自律的学習を支える教師の役割」『TEN』特別増刊号, 36.)と書いた「作業」が,まさに英語教育に跋扈している。これを駆逐しないと楽しい文法の授業なんて夢のまた夢。