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[本066] 國分・熊谷『〈責任〉の生成』

[本066] 國分・熊谷『〈責任〉の生成』

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読み終わるのが惜しいくらい抜群に面白かった。『中動態の世界』を読まずとも読み進められるようにダイジェストの解説は入っているが、(言語)教育に引きつけて考えながら読みたかったので、『中動態の世界』を読んでからにして正解だった。

「コミュニケーション障害は、インペアメントなのかそれともディスアビリティなのか。素朴に考えてディスアビリティですよね。なぜなら、気心の知れた相手なら発生しにくいけれど、相性の悪い人とならコミュニケーション障害は発生しやすいからです。あるいは共通前提がない人や、文化的背景が異なる人であれば発生しやすく、そうでなければ発生しづらい。他者は私にとって環境の一部です。そして、環境である他者と私の間に発生する相性の悪さであるコミュニケーション障害は、先ほど示した移動障害と同じく、ディスアビリティだと考えられます」(p. 52)。そのままでも構わないが、「コミュニケーション障害」を「うまく行かない英語使用」と置き換えてみれば、「相性の悪さ」を無いものとみなすか、あることを認めても尚その処理をあくまで個人に任せることで「できなさ」を個人に帰す風潮が浮かび上がる。

「私たちは誰でも『ああなりたいな』といった期待や、あるいは『ああなるだろう』といった予測を持って生きています。(中略)ここではひとまず期待と予測を、『予測』とひと括りにして話を進めます。人は予測を持って生きている。けれども、生きていれば当然、予測が裏切られることがある。その裏切られる体験のことを予測誤差と呼ぶことがあります」(p. 126)。私は、(A)うまくやりたかったけどできなかったこと、(B)対象世界から学んだこと、(C)自分ができたこと、(D)もっと知りたくなったことの4つで英語授業での学びを整理している。その内の(A)が「予測誤差」と重なる。その前に英語教育は、「ああなりたいな」や「ああなるだろう」を引き出せているだろうか((A)の整理も、伸び代を感じるためには「うまくやりたかったけど」を引き出せているかどうかが鍵という話だ)。

「例えば『意思決定支援』というプロセスのなかで、知的障害とされる方が執拗に、『オレンジジュースとウーロン茶、どちらが飲みたい?』と支援者に聞かれる場面に遭遇します。(中略)そもそもオレンジジュースかウーロン茶かというのは『意思決定』でもなんでもなく、単なる選択であるわけです」(pp. 107–108)。今の英語の授業は「オレンジジュースとウーロン茶、どちらが飲みたい?」のような活動を「コミュニカティブ」と称して児童・生徒に押し付けていないと言えるだろうか?上の(A)と関連して、國分さんがここで「意思決定支援」に対置する「欲望形成支援」であるためにはどうしたらよいか。

今は遠いように見えるかもしれないが、私の考える外国語教育の目的論は次の熊谷さんの言葉と重なるものが多い。

(中略)私たちが考えているのは、世界の解像度が揃っている者同士であればコミュニケーションは取れるのではないか、という仮説なのです。他者関係の障害がまずあるのではなく、単なるマイノリティ性があるだけだ、と。マイノリティ同士であればコミュニケーションはうまくいくし、そこには社会が生まれるという考えです。

今は、包摂的な社会とか、共生社会とか言われています。しかし、自閉症について、社会性の障害やコミュニケーション障害が根本の特徴だと記述してしまうと、もし、それが変えられない特徴であるなら、社会の構成員としては迎え入れられないという結論になってしまう。それはやはり、簡単には容認できません。そうではなく、ある種のオルタナティブな社会があれば、そこに参入できるはずです。なぜなら「コミュニケーション障害が根本ではないからだ」「他者関係の障害が根本ではないからだ」というのが私たちの研究の掛け金なのです(pp. 218–219)。

キー・コンピテンシーの解釈や当事者研究と当事者運動のくだりも非常に面白くて、先日の読書会で、ひと世代下の後輩たちは「エビデンスベースト」やビッグデータ的な潮流という熾烈な嵐の中に放り込まれていること(に対する意識が強いの)をまざまざと感じたのだが、少なくとも私の考える教育学は、どこまで行っても教育の当事者と関わらないことはないし、「当事者研究による言語や価値のアップデートは、すなわち社会変革そのものではないか」(p. 318)という熊谷さんの理解に近い。それ以外の教育学が成り立たないとか必要ないということではないが、少なくとも私は根幹をそこに求め続ける研究者でありたい。

それにしても熊谷さんの回転の速さというか、言語化の精度の高さにシビれる。書籍化にあたって編集の手は加わっているとしても、國分さんの講義や解説に対するボヤッとした応答が一つもない。かといって飛躍し過ぎもせず、楽しそうに触発されていく。理想的な対話だ。

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