[本068] 工藤・鴻上『学校ってなんだ!』
彼を英雄のように扱う風潮が好きになれず、工藤さんが書いたものはパラパラ見る程度で食わず嫌いしてきたのだが、鴻上さんが書いたものは昔から好きなので…ということで手に取った。
- 工藤 勇一・鴻上 尚史 (2021).『学校ってなんだ!: 日本の教育はなぜ息苦しいのか』講談社.
工藤さんはハッキリしている。教科書の役割など、私とは意見の異なる部分もあるが、そんなのは当たり前と考えて徹底している姿勢が良い。全員「当事者意識をもって、対話して、違いを受け入れる。そして他者と合意する」(p. 256)ことに向かって合理的で、それが面倒なものであると覚悟して引き受けている。一緒に働くことがあったら、上位の目標は共有しつつも、具体的なところですぐに揉めそうだ。
鴻上さんが良い対話者で、面白かったし、これを授業やゼミで読んで、どこに納得してどこに納得しない?納得できない部分について、じゃあみんなならどうする?と意見を交わすのもいいかも。
特に全員担任制は大賛成。大学にも同じところがあって、私自身が(講座制の名残の)3人体制+院生のゼミで育ててもらって指導教員は複数いるのが当たり前と思っていることもあり、他と比較しながら教員1人との関係に閉じるゼミの運営はどうにも息苦しいと感じてきた。だから前任校ではゼミのかけ持ちを推奨したり、大学を飛び出して合同ゼミ合宿を実現したりしてきた。
中京大学国際学部のカリキュラムで良いと思っていることの一つに、ゼミに当たる授業の看板が、私の場合「英語学・英語教育演習(英語科教育学)」であり、教員名ではないということがある。学生は教員名で通称するかもしれないが、これなら人が増えたり入れ替わったり、分野でコラボしたりするのも自然だし、実際そうしていきたいと考えている。そう思えるのは、「学生のためにより重要なことは何か」という点での合理性を共有できる同僚に恵まれているからだが。
そう、その合理性を自身の言動に反映させられていない人が工藤さん(の著作)を有り難がって持ち出したとしても何にもならない、というのが「英雄のように扱う風潮が好きになれ」ない根っこの理由だ。