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[本074] 中澤『学校の役割ってなんだろう』

[本074] 中澤『学校の役割ってなんだろう』

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「ちくまプリマー新書ということで、大学受験を目前にするような高校生でも理解できるように努めました」(p. 11)とある一方で、独りで読むとしたら、それなりに読書習慣のある大学2、3年生ぐらいじゃないと厳しい水準に仕上がっていて、著者の「相場感」のズレに苦笑してしまったが(ごく一部のエリート高校生を対象にしているのかもしれないが)、全体としては良書。

授業での解説があれば、専攻等によっては1年生でもいけるだろう。学校教育に関わることが幅広く網羅されているので、教員養成課程のどこかで本書を通じて学校の役割を批判的に議論しておくといいと思う。

ただ後半(第5章以降)は議論が逡巡して、読者によってはどこにも向かっていない印象を持つかもしれない。「教育的」が無条件に善きものとされて際限がなくなっていくおそれがあること、(素手でトイレ掃除をさせるような)トンデモ実践が実際に存在することはその通りだが、「よく教育は、データに基づくエビデンスが軽視されると言われます。というのも、学校活動はほぼすべて、実質的効果の有無と関係なく、何らかの教育的な意味を付与できます。それは捉え方や理念の問題なので、科学的に答えが出るものではなく、教育的だと考える人にとっては、効果があろうがなかろうが教育的で、意義があるという結論は決まっているのです。その点で教育という言葉は宗教じみており、思考停止を招く作用ももっています」(p. 237)といった記述を読むと、当為的次元やその役割について著者はどう考えているんだろうなと思う。

教育社会学が規範的な言明を避けて記述的研究に専念するのは何ら構わないし、それはそれとして大いに必要なことだと思うのだが、個人が持っている、あるいはある時代において社会で受け入れられている教育的価値を「捉え方の問題」で片付けてしまっていいのかということと、人々が合理性や「科学的答え」のみで教育を捉えて行動しているわけではないということについてはどう考えているのかな。記述的にやるにしても、「学校の役割」を考えるなら当の先生方の視点からの研究ももっと欲しい。先生たちがどういう状況に置かれ、何を考え(るように制度的・社会的に条件づけられ)、何ができ何ができず、何を求め、何は求めていないのか。

みたいなことを本書を通じて議論できるといい。

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