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[レビュ−080] 柾木『国語教育と英語教育をつなぐ』

[レビュ−080] 柾木『国語教育と英語教育をつなぐ』

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だいぶ遅くなってしまったが、読了。丁寧で分かりやすい記述と連携に関わる議論の系譜の詳しい整理で、今後周辺トピックを研究する者が必ず参照する文献となることは間違いない。

特に、2000年代から現在にかけて散発的に取り組まれてきたSELHi事業などでの実践を丁寧にまとめた上で「連携」の目的・方法を整理し、第4章では自身が関わった実践を複数紹介している。常に実践に即して具体をもとに論を展開しているところが特徴だと言える。

一方、その実際性故に、議論が学習指導要領の範囲内にとどまっている点に本書の課題もある。「連携」を問うということは「教科」とは何かを問うことでもあるが、その視点は弱い。しかし、現在「国語」の中に含まれている(そのことがある意味で当然視されている)漢文が、明治期の尋常中学校では「国語及漢文」と併記されていた(からこそ「連絡」の欠如が課題とされていた)ように、教科の捉え方は歴史を通じて同じではない。言語教育という視点で国語教育と英語教育を捉える議論が登場する過程も含め、本書でもそのことは通史として示されてはいるが、実践後に「教科に立ち返っていく」(p. 164)ためにこそ、教科の区分をもっと積極的かつ原理的に問うべきではないかと思われた。

実践の評価に関わる測定の議論などで指摘すべき細かい点はいくつかあるが、教科の目的に関してもう一点だけ主要な論点を示しておくと、岡倉(1911)の「実用的価値」と「教養的価値」をそれぞれ「言語能力の形成」と「人間形成」に相当すると捉え、「英語教育の主要な目的」をこの2つで整理することが妥当かどうか。さらに、本書の研究課題との関わりで、それを「連携」の2つの目的(言語能力向上と生徒の意識変化)と対応させてよいのか。言い換えれば、「言語能力の形成」には実用的価値しかなく、人間形成的な役割を持たないのかどうか。本書の議論の枠内でに整理は整合的だが、改めて検討する余地があるだろう。

教科教育史の観点から見ても、実質的な連携ということで言えば、民間教育研究団体においてどのような連携が模索・実践されてきたか、たとえば教科研国語部会の英語教育への影響について探究されるべきだろう。一つの学校に限っても、(無着成恭や鈴木重幸らを通じた言語観・依拠する文法体系という点で)明星学園において直接・間接の「連携」は確実にあったはずだから、現在・未来の「連携」を考える上でも検討の価値はあると思われる。私が(柾木さんと)やるべき研究だろうか。

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